今日は「ふみの日」だそうです。

 

スマホの恩恵をいっぱい受けながら、使いまくりながらも思うことは、

母が私を育ててくれていた頃が、スマホ時代ではなくてよかったということです。

それでも、やはり母の性格から考えると、お誕生日にLINEでメッセージを送って終わり、にはされないだろうなぁ、と思うのです。

 

今も母が私に送ってくれたバースデーのカードが、手元に残っています。

 

 

 

私が大好きだったピーターラビットを思わせる可愛いカードの裏には、懐かしい母の字がびっしりと並んでいて、今読み返してもその文章を通じて、優しい、けれどもこの世を生き抜く力をきちんと持っていてほしいという、私の幸せを願う、母の気持ちが伝わってきます✨

 

このカードは私が20代の終わり頃に送ってくれたものだと記憶していますので、ある意味、意識のしっかりとした母との別れの近い時期だったのかと思うと、たまらない気持ちになります。


毎年もらっていたはずなのに、なぜか手元に残っているのはこの一枚だけなのです。

 

最近また、ブログをアップし始めてはいますが、それだけではなく、アナログでいつも持っている手帳に、ボールペンで文章を書き始めてもいます。


予定もすぐにスマホのスケジュールにつけていましたが、大切な用事や大切だと思った言葉は、きちんと手帳に文字で書く、

そういう習慣を再び始めています。

 

母の残してくれたボロボロになったメモ帳を見つめながら。


私宛てへの日記のようなメモ帳は、これまた私好みのアルフォンス・ミュシャのもので書いてくれていました。





あまりに何度も読み返していたので、表紙が剥がれてしまいましたが、それでも内容はしっかりと読めます。

この母の書き残してくれたような気持ちで生きていられてるのか?とか、ちょっと思ったことも文字を書くことで、改めて感じることが増えたような気がしています。

(漢字が書けなくなっている!ということも含めて^^;ですが)

 

そういえば、学生時代からの親友は必ず、誕生日カードはもちろん、年賀状も暑中見舞いも必ず手書きで送ってきてくれます。

mixiで親しくなった友人の中でも、誕生日カードを送り続けてくれる方がいますが、彼女はLINEでも、とても誠実なやり取りをしてくれます。

 

この郵便事情が寂しくなっている時代だからこそ、「手紙」という形で交流してくれる方達との思いを考える事を通じて、そして母からのカードを見つめることによって「ふみの日」という意味も深みを増して感じられています。

 

それから、、、、

戦時中に中身もチェックされながらも、なんとか受け取れた、短い葉書を大事にされていらした方達の気持ちも考えずにはいられません・・・・