今日は、大河ドラマ『光る君へ』がお休みです。

 

実は、始まるまではこんなに史実が残っていない、資料も少ないだろうに、どう描くのか?と思っていた紫式部を主人公にした今年の大河。

 

「一年、どうやってもたせるのだろうか?劇中で『源氏物語』を描くの?」とか勝手に想像していましたし、「まひろさんって誰?」で始まったものの、気づけば毎週、しっかり見ています。

 

まず、反田恭平さんを演奏に使うあたりも、それに物語の中でも美しい映像に合わせて、綺麗なピアノ曲やバロック朝のメロディーが流れたりして、女性の心をよくご存知の方達が作っているのだろう、上手いなぁ、とは思ってはいますが音譜

 

いえ、正直申し上げると、やはり道長が美化されすぎている?ようには見えてしまいますし、「紫式部日記を思い出すと・・・」とか、多少は未だに思ってしまう部分はありますが、意外なところで史実の通りに描いているような部分も多々あるようで、Twitterを見ていると、平安時代に関して詳しい方の説明に感心したりして。

 

それに、「この場面が『源氏物語』につながってゆくのかー!」と、思わせる場面が随所が散りばめられてるあたりも上手い。

 

個人的には、なんといっても清少納言と定子の関係をしっかりと描いてくれたことは、とても嬉しい✨

学生時代から、「紫式部より清少納言の方が好きっ!」と言っていた私にとっては、きちんと史実の通りの、清少納言と定子の関係を描いてくれた流れは(もちろん、多少は脚色されてはいるようですが)けれど、その二人の『絆』の部分がしっかりと伝わってきて、涙しながら映像に見入りました。

 

「春は、あけぼの。やうやう白くなりゆく山ぎは、すこしあかりて、紫だちたる雲の、細くたなびきたる。」で始まる「いとをかし」の精神が詰まった『枕草子』を改めて、きちんと再読したいと思っています。

 

あの部分を定子様が朗読した回の放映後に、一斉に「学生時代、無駄だと思いながらも『枕草子』の冒頭を覚えさせられたことを、幸せだったと思う」というような内容がTLが並んでいて、なんとも懐かしい気持ちになりました。

 

もちろん、紫式部と清少納言が一緒に過ごしたという記録は残っていませんし、私が読んできた本によると、二人が宮廷で活躍した時代はズレています。

 

けれど、やっぱり一緒に過ごしていたという風に描いた方が面白いのは間違いありません。ドラマで描くように仲良しになれたのかどうか?というのは、疑問ではありますが^^;

 

定子亡き後、清少納言の記録はほとんど残っていないようですし、紫式部とライバルだったというのは、『紫式部日記』の中で、清少納言の残した評判を耳にして、「なんて傲慢な。私なんて、漢字なんて、一の文字すらわからないようにしているのに」とかなんとか、色々と清少納言への嫉妬というか、悪口的な描写が結構あるからだとか。

 

清少納言が『枕草子』を中宮定子様の為だけに書いたというのは、史実だそうで、決して、自分の自慢をしたいが為に残したような作品ではなかったそうです。

思いがけず、皆に読まれるようになり、戸惑っていた?ようです。

そもそもが「楽しかったですよね。定子様」のような気持ちで、没落してしまった定子様との思い出を愛しみながら、書き続けていらしたようです。

しかも、自らの状況も厳しくなってゆく、そのさなかであっても、宮廷で過ごした幸せな輝かしいサロンでの日々を思いながら、それでも決してネガティブな内容ではなく、あくまでも「いとをかし」の精神で書き綴っていった、その心に感動しますキラキラ

 

もちろん、「にくきもの」のような部分もありますが、それは決して現代的な本当の憎しみを描いたものではく、「こういう態度をするってどうよ!」的な感じでしょうか。

今でいえば、「匂わせ」だとか「忖度」だとかをバッサリと「それってどうなの?」と書いてくれそうな、そんな気性をも持っていた清少納言。

 

没落してゆく中で、その悲しさや嘆きを書き残すことだって出来ただろうに、あくまでもそういうことは書かない・・・・

その精神に気づいた時から、私は清少納言に心惹かれるようになりました。

ちなみに、私が初めて清少納言に魅了させられた本の著者は、今は亡き清川妙さんの本からでした虹

 

それから、もうドラマの中では慣れてきましたが、やっぱり私は定子様は(さだこ様ではなく、ていし様)彰子様は(あきこ様ではなく、しょうし様)と呼ぶ方がしっくりします。

 

実は実は、私は遠い昔になるw、学生時代に劇をすることになり、その時に先生が「どうせなら、皆が勉強になる内容にしなさい」と言われてしまい、なぜか私達は平安時代をすることになりました。

 

当然のことながら、私は「清少納言か、中宮なら定子様をやりたい!」と思ってそう発言もしたのですが、紫式部の『源氏物語』の方が上だと思われていたようで、結局は、彰子様をすることになったのですあせる

以来、私のニックネームの中に「ショウシ」でなく、「ショウジ」という不名誉なものが加わったことも・・・今となると、懐かしい思い出です。

 

けれども、一条天皇にも心から愛されて、当時にすると学識もあった中宮定子様は、今も私にとっては憧れの存在です。

(ただ、紫式部のフォローにもなりますが、この時代に女性が漢文などを読めるだとか、学識があるのははしたないことであり、だから、定子は不幸になったのだ、とも言われたのだとか!!)

 

紫式部については、私はこのドラマを見ながら多少は見方を変えています。

もちろん、あのドラマはかなーーりフィクションを入れてるとは思いますが、けれど、実際に紫式部が道長の愛人説はあったそうです。

 

それに、彼女の乏しい(失礼!)恋愛経験だけで、あの『源氏物語』が描けるとは思えない?のです。結婚自体も当時にすればかなり晩婚で、しかも(ここは、史実通りにドラマが描かれるとネタバレになりますが)早くに夫を亡くしてしまうのですから。

 

紫式部の人生が定説通りで、あの作品が描かれたとしたら、すごく想像力が豊かであり、そして、周囲の人々への観察眼が凄い人だったということでしょうか。

 

来週では、いよいよ石山寺での時間が描かれます。

石山寺で紫式部は『源氏物語』を書き始めたというのが通説なので、どういう流れでそうなってゆくのか?どう描いてくれるのかが楽しみです。

 

そして、道長との関係からなのか?彰子様のサロンで『源氏物語』を発表しながら評判を得る、その流れをどう描くのか?

 

なんといっても、月の場面が印象的に頻繁に使われるあのドラマの中で、いつどういうシチュエーションで、道長といえば!という

「この世をば我が世とぞ思ふ 望月の欠けたることもなしと思へば」

が使われるのかも、楽しみになっています。

 

結局のところ、恋愛脚本といえば・・・・・

と言われている大石静さんに私もしっかりと気持ちを掴まれてる?ということでしょうか?

 

けれど、私が今ゆっくりとじっくりと改めて読み返したいと思っているのは、やはり『枕草子』ですクローバー