今日のブログのタイトルは、私の言葉ではありません。

あの漫画家の一条ゆかりさんが、わずか中学生の頃に心に決めていたという言葉です。

 

最近Kindleに落とした、ジェーン・スーさんの著書『闘いの庭 咲く女 彼女がそこにいる理由』という本の中で、色々な女性の姿をインタビュー形式で書かれていらしたのですが、その最後に登場された一条ゆかりさんが語った言葉の一つです。

 

最近、色々と続いたので「心身共に強くなりたい!!」と心から願っていました。

なんだか、私なんてまだまだ甘いなぁと、実感させてくれる、色々な意味で勇気をくれる本でもありました。

 

一条ゆかりさんについては、彼女自身がエッセイ風に綴ったものなどを読んでいたので、ある程度はその辛い成長期や、もがきながらも凄い作品を描き続け、一条ゆかりとして存在し続ける大変さをも、ある程度は知ってるつもりではありました。

 

ところが、他者からのインタビューという形を取っていたせいか、ゆかりさんの強さや厳しい生き方が、改めて伝わってきました。

 

特に幼い時期の子供にとっては大切なお母様との関係の中で、ゆかりさんの、ご自身に対しての厳しいパーソナリティーが築かれたのかな?と思ってみたりもします。

 

最近、夢中で見てる『虎に翼』の中でも、いよいよ来週は、主人公の寅子さんの家庭問題が顕著になるようで、ドキドキしながら見守ることになりそうですが、お母さんがしっかりと社会に出て活躍されていらした場合、お父さんの代わりまでをも果たしてしまった場合、どうしても自分の家庭が、自分のお子さんへの気持ちが疎くなってしまうことが起こりがちなのでしょうか?

 

特に一条ゆかりさんの場合、彼女が生まれてからすぐに一家が没落してしまい、彼女は育ちも出来もいい、生活を支えるお母さんにとっては「堕ろすことも考えた子」であり、それをゆかりさんも知ってしまった上で、彼女が夢中になった漫画は、当時はまだまだ学歴のあるお母さんにとっては軽蔑するような職業であってという厳しい状況で。

 

絵を描くと褒められるからと喜びを感じて漫画の世界に入ろうとされた小学生の頃に、お母さんからその漫画を馬鹿にされて「ポンチ絵だ」と言われて、反骨精神がムラムラとわいてきて、「むざむざと屈したくない!」と、その苦悩を力に変えてしまったというあたり、胸が痛みながらも、彼女の作品の中での親子関係が色々と浮かんでもきました。

 

転んでも(いや、理不尽な状況で転ばされたとしても)ただでは起きない!という彼女の強さ、彼女の作品を生み出し続ける、その力が伝わってきたような気がしました。

 

決して折れない、決して自己憐憫に走らない強さは、ある意味、私達が子供時代に『りぼん』などで、どこか他の可愛い作品の中で違和感すら感じさせるような大人っぽい、見てはいけないものを見ているような世界を垣間見せてくれる、それでいて夢中にさせられる作品を描いてこられた、ある種の才能であったのかもしれない?とも、思います。

 

最近よく言われる「自己肯定感」を決して失わない、ゆかりさんの力には敬意すら感じます。

 

私は最近、大切に思っていた人に裏切られて、けれど、その人が私に大嘘をついていたこともわかって(逆にそこで、その人への気持ちは切れてゆくのを感じましたが)でもやっぱり、しっかりと年を重ねているとはいってもかなり落ち込みました。

 

けれども、いつも私の心に戻ってくるのは、母からもらった言葉なのです。

 

子供にとって感受性の強い、この世への意識ができてくる頃に接してくれる人(それは母であっても父であっても、自分を育ててくれるような大人の存在)との関係性やそういう人から愛情をもらったかどうか?ということは、やはり後年に影響を与えてしまうような気がします。

 

一条ゆかりさんは、その当時に頭から否定され続け、いつかはこの母をギャフンと言わせてやりたい!と思って生きてきたそうです。

(それは、お母様が亡くなる前に無事に叶い、「お前を産んでよかった」と言われて、こっそりガッツポーズをしたという、そんなエピソードまで語ってくれましたが、もっと早く言ってくれればいいのにー!とも思いますが)

 

あの、未だに再読できていない衝撃作品『デザイナー』を描いた後、一番描きたいものを描いてしまったからと、一番苦手な分野を描こうとして、そこで生まれた作品が、あの『砂の城』だったというあたりもびっくりしました。

 

「好き嫌いが自分にとっての一番の大事なこと」だと語る一条ゆかりさんにとって、一番苦手なタイプの女の一生を、読者にバレないように最後まで描ききったならば、プロになれると思ったのだとか。

それは見事に大成功されたといっていいと思います。

 

常に自分の限界にトライしてゆく、

その生き方には心から圧倒されます。

彼女の作品に圧倒されたように。

 

ナタリーの性格が大嫌いだ!!と語るゆかりさんw

うざくてうざくて、彼女の自分しか見えない悲劇の主人公的なキャラが嫌いで、無いものねだりをしてばかりで、「建設的に物事を考えようよ!」と、主人公に説教してやりたい気持ちで描いたという作品だそうです。

(でも『砂の城』というタイトルから、建設的ではないのは目に見えてますよね^^;)

 

けれども、やはりそういう辛い作品を描いたことを通じても、ただでは起きないゆかりさん。

「大嫌いなナタリーを描いたおかげでいいことがあった」と語ります。

ナタリーが嫌いなあまりに生まれたのが、ゆかりさんの『砂の城』とは真逆の世界である、彼女の代表作品の一つでもある『有閑倶楽部』だそうです。

 

とはいっても、あの独特の世界に溢れた作品を描く為、今みたいにネットでなんでも調べられる時代ではなかったので、取材にすごく苦労されたとか。

 

いやー、今のような私にとっては、まさしく「目から鱗」的な気持ちにさせてもらえる一冊をKindle経由で読めたことは力になります。

今の体調不良だとか、仕事のことでもなんでも恵まれてるからこその悩みなのかな?とまで思わせてくれた、一条ゆかりさんのインタビューでした。

 

また、彼女自身のエッセイも読み返そうと思っています。

 

コロナ禍の中でライブ配信で見た『コッペリア』のおかげで読み返した後、思わずアップした自分の『砂の城』の感想ブログを読み返したら、確かにナタリーは、一条ゆかりさんの嫌いなタイプだということに納得させられましたが・・・・・

 

 

 

一条ゆかりさんの体調問題で、最後の作品になってしまった『プライド』の主人公、史織クンは、ナタリーと同じくお嬢様育ちなのに、「これから」という時に、何もかもなくした?失恋した?と思う状況の中であっても、人としてのプライドを心の芯にしっかりと持ち続け、紆余曲折こそあったものの、最終的には幸せを掴み、自らを何度も不幸にしようとしたライバルの娘までをも幸せにしてしまいました。

 

そういう生き方こそが、一条ゆかりさんの描きたかったものなのかもしれません。