山本文緒さんが最期の日々を綴られた『無人島のふたり』を、
やっと・・・・やっと、読みました。
 
この本が出たのを知った後すぐに、購入はしていました。
けれど、自分の心境的にも開くことに気持ちが多少ひけてる部分がありました。
 
この本を読むことで、文緒さんの最期の言葉を思いを多少なりとも知ることはできるような気がします。
けれどもこの本を読んだら、もう文緒さんの新しい文章に出会うことはないのだろうと、そんなもろもろの思いもあって、なんだか読むには時間がかかりました。
 
いったん読み始めると、内容は濃くて、想像で推し量れるものではないものが溢れているものの、文面自体は少ないので、すぐに読めてはしまいます。
ただ、その少なさに文緒さんの苦しみをより考えさせられ、やはり心が痛みました。
 
『再婚生活』で綴られた恐ろしい鬱病の日々の中で、文緒さんが変わってしまった自分の姿をまっすぐに見つめながら
「生きるってなんだろう?生きるって何?」と、問いかける部分がありましたが、なぜかこの文はとても心に残っていて、私自身も最近同じようなことを思ったことがあります。
 
というか、この問いを自分自身や大事な人、信頼できる人に問いかけたことがある人は多いのかもしれません。
 
それは自分自身の人生だけでなく、地球の裏側の情報がすぐに知ることのできる現代だからこそ、余計に湧き上がる問い?なのかもしれません。
 
「そしてもし、文緒さんと私が同じ状況になったら??」
当然ながら、そういうことも考えずにはいられませんでした。
 
コロナ禍の中、そして苦しいコロナの日々を通じ、そしてこの世で一番愛しい人や猫達を送ることで、「死」というものがやはり身近になったことは否めません。
 
全ての生きるものは、生まれたその日からその終着点へ向かっているのは間違いありません。
そして私は、決して不老不死を願う気持ちは、そもそも理解できません。
ましてやそれがリアルの世界で実現する日がくると考えると、どこかで恐ろしいような気がします。
 
文緒さんが「うまく死ねるような気がする」とつぶやく、胸に刺さる文章を目にしましたが、私も後何日残ってるのかは決してわからない自分の余命、自分のこの世での日々についてはまるでわかりません。
 
今はただ、まっすぐに願います。
 
一日一日を大切に生きて行きたい。
 
そして、その時がきたら、私も許されるならできるだけ穏やかに逝きたい。
大切な方達のもとへ・・・・