西城秀樹さんが逝ってしまいました。

 

この訃報を知った時、まず驚きと、そして「早すぎる!!」という思い、

それにまた一人、気骨のあるスターが去ってしまわれたという寂しさ、

けれど、秀樹さんが苦しみから解放されたのかも?と思いまでもが入り混じり、心の中がごっちゃになるような気持ちでした。

それにしても、ニュース番組の彼の特集など通じて、過去に見ていたはずの秀樹さんの歌われる姿を改めて見直して、秀樹さんの当時にしてはかなり斬新だったはずのパフォーマンスや、ハスキーで熱い思いがほとばしる歌声にも驚かされています。

 

 

私が子供の頃、家の中ではあまり歌の番組はついていませんでした。

唯一『ザ・ベストテン』だけは毎週つけてもらえたので、その時間はとても楽しみにしていました。

 

私の母は基本的にクラシック音楽が大好きだったので、子供達にもピアノを熱心に習わせてくれて、自然に素晴らしい音楽が好きなだけ聴ける環境を与えてくれていました。

 

それだけに、姉が洋楽に目覚めて家でも聴き始めた時にはブツブツと文句を言っていたのですが、その頃のことを思い出すと、なんだか今も苦笑してしまいます。

 

そのくせ、実は子供達より乙女な心を持ち続けていた母でした。

私が友達からもらった、郷ひろみさんがギリシャ神話のナルシスの姿になった写真に見惚れては、「郷ひろみさんって本当に綺麗ね!」と嬉しそうに部屋に飾ったり(!!!)、

TVで流れていた西城秀樹さんの熱唱される姿を見て、「なんて心からの気持ちのこもった歌声なの!!情熱が溢れてるわ!」とうっとり聴き入っていたので、

娘の方がどこかクールに、そんな母を可愛いなぁ・・・・と思いながら見ていたことを懐かしく思い出します。

 

歌と同じようにパフォーマンスにも情熱的だった秀樹さんが、ご本人で自ら積極的に海外のアーティストからも刺激を受けながら、初めて日本の歌の世界に持ち込んだもの、取り入れたものが数々あることを、この訃報を通じて初めて知りました。

マイクスタンドを振り回しながら歌うパフォーマンスは、彼が日本で初めてされたのだそうです。

驚いたのは、ペンライトを初めて使ったのも秀樹さんのコンサートなのだとか。

秀樹さんご自身が「懐中電灯を持参して下さい」とファンに呼びかけたそうですが、今になってから初めて彼の残したものの大きさに驚いています。

 

 

けれど、ショッキングながらも感銘を受けたのは、秀樹さんが脳梗塞を患った後の辛いリハビリの姿を、メディアに見せながらも歌う、歌い続ける、その姿でした。

彼の強さ、そして自分のイメージを守りたいという思い以上に歌いたいという熱意に、改めて「西城秀樹」という1人の歌い手さんへの敬意の思いが強くなりました。

 

それにしても、神様は、運命は彼に対してあまりにも厳格すぎたと思ってしまうのです。

 

二度目の脳梗塞は、彼の肉体にも心にも大きな爆弾だったように見えました。

それでもなお、右半身に麻痺が残っても歌い続ける秀樹さんを、素敵なご家族に支えられながらも頑張っていらした秀樹さんをこんなに早くに召されるなんて!!

 

けれど、彼の心身は疲弊しきっていたのかもしれない?という思いも少しだけよぎるのです。

 

 

私の母も交通事故で大きな手術を二度経験した後、リハビリを頑張り、少しずつある程度のコミュニケーションができたり、介助があれば多少は歩くこともできていたのですが、

二度の脳梗塞を経験した後からは、完全に言葉を交わす事ができなくなりました。

もともとあった右半身の麻痺が一気に酷くなり、今では特殊な形の車椅子を使っています。

脳梗塞が、一度目よりも二度目の方が肉体に与えた傷跡は、遥かに厳しく大きく思えました。

 

 

もちろん、63歳で逝ってしまわれた秀樹さんは母よりずっと若いのですが、脳梗塞を繰り返すことの怖さを思わずにはいられません。

 

それでもなお、秀樹さんには目標があったそうですが(『傷だらけのローラ』を再び熱唱したかったとか)その願いが叶わなかったこと、きっと奥様やお子さん達を置いて先に逝かなければいけなかったことは、どんなにか無念で辛いことかとも思います。

 

倒れてしまわれたその日まで、リハビリを休まずに頑張られる秀樹さんの毎日が、どんなにか大変なものかは想像を絶するのですが、それだけに、もしかしたら神様もこれ以上彼を苦しめたくなくて連れてゆかれたのかもしれない?と思ったりも。

 

大事な人には1日でも長く、少しでもそばにいて欲しいと願わずにはいられませんが、大切だからこそ、これ以上の苦しみは・・・・・・・と思う気持ちは、愛する人に対しては、みな同じだと思うのです。

 

一昨年前に天に召された大好きな学生時代の親友の最期の頃の状態は、

今はまだ、思い出すだけでも胸が苦しくなります。

 

ただ、そうは思っても永久の別れはどうしようもなく悲しい。

大切な人であればあるだけに喪失感も大きい。

 

秀樹さんのあまりに早すぎる旅立ちを思うと、改めて母が今もなお、頑張ってくれることはやはり奇跡なのだと思わずにはいられません。

特に母が大好きで聴きいっていた『傷だらけのローラ』を久しぶりに聴いて、私も一気に子供時代の思い出がよみがえり、そして、秀樹さんの凄さに敬意をこめて感じ入っています。

 

西城秀樹さんのご冥福を心からお祈りしています。