どうにも懐かしくなって再読したものの、

「この作品ってこんなにも重く、人間の嫉妬や誤解の恐ろしさまで描かれてたの??」と、驚いてしまいました。

 

『半分、青い。』に登場する『いつもポケットのショパン』の単行本の表紙や中身を見ているうちに、くらもち作品への懐かしさや再読したいという思いがぐんぐんと大きくなってしまい、ついにamazonでクリックして読んでしまいました!!

 

Kindleはとっても便利ですが、クリックする前に考慮する時間と自制心が必要!といつも自分に言い聞かせているのですが、去年の年末からの実家の大断捨離(?)の中で、失ってしまった、くらもち作品の中でも「いつもポケットにショパン」は特に心に残っている作品でもあるので、やっぱり改めてじっくり再読しようと思ってポチってしまいました💦

 

 

 

 

ドラマの中でちらりと見えた主人公の麻子の厳しいけれど、素晴らしいピアニストである母の「麻子はシチューが得意です」という言葉は、なぜか、子供心にもすごく印象が残っていたので、なんだか色々なものが一気によみがえってきたからかもしれません。

同時に、中村紘子さんの「ピアニストたるもの、包丁くらい華麗に使いこなさないと!」という言葉も思い起こしたり。

 

『いつもポケットにショパン』は、他のくらもち作品以上にあらすじは覚えてたつもりでしたが、年を重ねた今、ゆっくり読み返すと、子供の頃に読んだ時とは違う怖さや毒のようなものが、美しいようで恐ろしい世界の真実もが散りばめられていたことに驚いてしまいました。

けれど、童話もおとぎ話だって、この作品以上に、大人になって改めて考えると人間の恐ろしさが華やかに思えるお城やお姫様の世界にあちこちに散りばめられていたのだから、私達は子供の頃から知らないうちに色々とそういう毒のようなものを感じ取ったりすることを学んだりしていたのかもしれませんし、またそれは普通の事なのかもしれません。

 

厳しくて一見冷たくも思える、主人公麻子の母親とはまるで対照的な、一緒にピアノを習っている大好きなきしんちゃんの優しいママ。

会うたびに、「麻子ちゃん、パパに似てきたわねー」とにっこりと優しく笑い、甘いキャンディーをくれて、麻子が自分で編んだ下手な髪を編み直してくれながら、ふんわりした笑顔を見せる、温かい言葉をかけてくれる(ように見える)きしんちゃんのママ。

 

麻子の母は、何事も自分でやるように!と冷たく見えるように娘を躾ける厳しさで接しているので、麻子にとって、その厳格な母ときしんちゃんのママはとても対照的な存在。

 

そして、その温かいきしんちゃん親子と過ごす時間は、その風景は、麻子にとって、とても大切な思い出だったのに・・・・

 

実はきしんちゃんのママが麻子に優しく甘く接していたのは、まだ幼い麻子の心に、着実に毒を植え付けるように洗脳をしていくという目的の為だった。

自分の復讐を果たすために。

麻子の母に、ピアノも恋愛でも負けたという激しい苦悩は、きしんちゃんのママを壊してしまっていたのだろうともいえるのだとは想像できる。

とはいえ、麻子の大好きなきしんちゃんのママの麻子の母への嫉妬は恐ろしすぎる。

それはもう嫉妬を越え、呪詛という表現がふさわしいほどに。

 

麻子だけでなく、列車の事故で生命を失う直前にまで、きしんちゃんに呪いをかけてこの世を去ったきしんちゃんのママは、哀れを越えて恐ろしい存在として、この物語全体を覆っていた。

 

改めてこの作品を読んでいる間、「バレエの世界は嫉妬の世界だよ」と何度となく語る熊川さんの言葉が頭をよぎったり、

最近読んだ中村紘子さんについての本を通じ、彼女を育てた恩師が、後には素晴らしく成長してゆく紘子さんに嫉妬してゆく流れを複雑な気持ちで読んだ事を思い出したりして、なんだか切ないような怖いような気持ちにもなったりもした。

 

究極に美しいものは、こんな怖いものを乗り越えて輝くのかと。

 

芸術の世界は残酷だ。

もちろん普通の仕事でも才能や独特のセンスがある人は大きな仕事を成し遂げたり、収入も多くなり、時に羨む事もありますが、普通の仕事は真面目に努力を続ければある程度の成果につながる事の方が多い。

 

けれどもピアノは・・・・いや、他の楽器も然り、楽譜の通りにミスなく演奏したからといっても、幼い頃から他の楽しいことを諦めて努力し続け、金銭をつぎこんだからといっても、それが仕事にできるのか、願っていたように活躍できるかなどはまるで、わからない。

途中で現実にぶち当たり、違う道に進む人の方が圧倒的に多いのではないでしょうか。

 

ピアノにたとえると、多少のミスタッチがあっても惹き込まれる演奏ができること、人の心を捉え、感動させる演奏ができることは、教えられても教えられるものではないのかもしれない。

天からのギフト、芸術のミューズに愛されて光る・・・・・それこそが才能なのかもしれない。

 

もちろん、才能のある人が努力に努力を重ね(努力できる環境があるかどうかもギフトなのかもしれないけれど)その上で怪我なく、縁や運をも引き寄せる。

これはきっとアスリートも同様なのではないかと思う。

アスリートと思った途端、浅田真央さんの笑顔が・・・・・心をよぎる。

 

また、天が与えたギフトは、○○コンクールというものを超える力を持つものだとも思うのだ。

タングルウッドの奇跡を起こした五嶋みどりさんのように。

あまりに苦しい人生と母親との確執を越えたものの、晩年になってからその美しい音色で人々を癒やし、感動させたフジコ・ヘミングのような方もいる。

 

色々な芸術家の人生について目にするたび、ギフトが与える苦悩と重さに圧倒され、自分は凡人でよかったと思う気持ちの方がずっと強くなってくるのは、私が年齢を重ねたからなのだろうとも思い返したりも。

 

麻子ときしんちゃんのこれからはどうなるのかはわからないと、今回読み直して、彼女達がいつもポケットにショパンを奏でながら生きていって欲しいと本気で思ってしまった。

子供の頃は2人のハッピーエンディングをイメージしていたけれど、今は、これから音楽の世界の深みに歩んでゆく2人の長い人生が恐ろしいようにも思うから。

 

きしんちゃんの瞳の中に生きているきしんちゃんのママ、そしてきしんちゃん自身の独特の力量が上手く開花するのか?、麻子の演奏に嫉妬する心が暴れだす日を2人は越えられるのだろうか?と、

麻子自身も洗脳されながらであっても、きしんちゃんにツェルニーを抜かされた途端、「抜かれた!!」と、燃え上がるような強いものを子供の頃から持っている。

この「抜かれた!!」と燃える麻子の表情の一コマをリアルだ、と思いながら読んだ子供時代にピアノを習っていた人は多いのではないかな?とも思う。

 

どちらかというと、ドラマに登場する鈴愛や律の方が少女マンガチックに思えるのですが、どうもこれからの展開は、当然ながら甘いものではないらしい^^;

子供時代の映像や雰囲気があまり好きだったので、『半分、青い。』の方は少しテンションは下がっているものの、改めて、人に感動やエネルギーや喜びや心を浄化するような涙を流させる方達の歩む厳しく孤独なプロセスや、背負うものの重さを感じさせる作品に出会わせてもらえたことは、やっぱり有り難く思える。

 

最初に教えてくれたマイミクさんに感謝しつつ、改めて大好きな芸術に、もっともっと敬意を持って向かい合わないと!!そう思うのです音譜音譜