25日、26日、K-Balletカンパニーの夏公演『トリプルビル』を見るため、主人と上京して、
「シンデレラ」以来のバレエ遠征。
オーチャードホールへに行って参りました


『トリプルビル』の2回の公演での舞台の感想は記憶が鮮明なうちに書きたい事は頭だけでなく、
心にも胸の中にもいっぱいあふれている状態ですが、今日、Twitterで見つけた熊川哲也さんのお父様、
健一さんの記事があまりにも心に染み入ってたので、まずはそちらを先にアップさせて頂きます

本当なら全国版に掲載して欲しい内容だと感じています。
アップして下さった方、ブログにすることを承知して下さった方には感謝していますm(__)m


熊川哲也さんを応援される方には、一人でも多くの方に知って頂きたいという記事だと思う内容でありますが、
ただ、この内容を言葉に出来るまでには、長い時間が必要だったのが伝わる内容だとも思います。

熊川さんは、基本的にウィットがありトークが面白いので、留学された時のことや留学中のエピソードも
面白く話してくれるので、楽しい印象を持ってる方は多いとは思いますが・・・・

「15歳で単身留学を許してもらえたのは、両親の理解があったから」と感謝する言葉を素直に口にされる
熊川さんは、以前以上に美しく感じますきらきら!!

ロイヤルですら驚愕する程の技術を持ち、技術が高いので年齢より高いアッパークラスに入れられたとはいえ、
あの時代にイギリスに留学した息子を支える事がいかに大変だったことなのか・・・・

空港で号泣して送り出した大切な息子のために、お母様のさち子さんはお昼はスーパーで、そして
夜はお寿司屋さんで働いていらしたそうですももクロカラー!


ローザンヌで、アシュトンの「田園の出来事」の中のショパンの軽やかな曲に合わせ、ボールを操りながら、
コリアを踊る熊川さん
キラキラ



ロイヤルバレエ時代にも色々とあったのは、彼の本などを読まれた方ならご存知だと思いますが、
今のようにネットもなく、連絡が簡単に取れない時代・・・・・
彼の孤独やご両親の心配は、大変なものがあったと思います。


それでも、史上初!!だらけの成功をおさめて、帰国されて時代の寵児としてもてはやされる息子を心配されて、
TVなどで生意気な態度を取るたびに注意するために電話されたという愛情が深くとも、しっかりもののお母様キラキラキラキラキラキラ

ヴィシニョーワがゴールドメダルを取った時のローザンヌのゲストに呼ばれた頃の熊川さん。
当然ですが、若いですね!!!
(でも、この後にはお母様から電話があったかも・・・・・・



今だに何度も見てしまう、楽しかった『生ダラ』での木梨バレエ団に出演された熊川さんハート
彼のチャーミングで実は照れ屋さんの可愛さを引き出した楽しさと明るさがあふれる番組でしたキャハハ
(この番組は、お母様も喜ばれたのではないでしょうか??)


そんな風に活躍の場を広げていかれてて、自身のカンパニーを持つようにまでなられた熊川さんですが、
その頃のトークショーによると、やはりご両親もロイヤルを退団した事に対しては、非常に心配されていらしたそうです・・・・・

それでも紆余曲折を超え、人気バレエ団に成長してゆくプロセスの中で・・・・・・
私達ファンにも非常にショックだった、あまりにも早すぎるさち子さんの死去。

記事によると肝臓癌で余命3ヶ月だと宣告された時、熊川さんは英国での出演依頼に悩んでいたそうですが、
その最愛の息子の背中を押しという気丈なお母様。

英国での公演の成功を午前4時頃であるにもかかわらず、携帯電話を通じて聞いていらしたというお母様。
「苦しい中でもパワーを送っていたのではないか・・・」と電話しながら泣いていたお母様の様子を語る事が
できるようにまで、お父様もどんな思いで奥様と息子を見守ってこられたのでしょうか・・・・

熊川さんが帰国された後、数日後に逝かれたさち子さんのことを
「息子を待っていたのでしょう」と語るお父様もまた息子の帰国をどんな思いで待っていらしたのでしょうか・・・・・・

そして熊川さん自身が、あの美しい音楽『パッヘンベルのカノン』を使って振付けた作品のテーマが、別れてゆく恋人で、
しかもその別れは死別であり、作品のモデルはお父様とお母様であったことを明かして下さったのは、
去年出演された『N響アワー』での中でした。

今思えば、あの作品が上演された時に熊川さんが涙されたのは、舞台が成功したという理由だけではなかった・・・・
そんな風に感じさせられますキラキラ

さち子さんが逝かれてから9年。

15歳で日本を出て大成功され、帰国されてからもバレエダンサーの枠を超えて活躍の場を広げ続けた息子さんと、
接する事ができた時間は、決して普通の親子のように長くないはずですが、それでも、
濃密で深いものが流れていたのだとも感じます・・・・・

熊川さんにも色々な時代がありましたし、彼のバレエ団のあり方も彼自身の踊りも人間性もバレエへの
向き合い方も変わってきた事をも、最近は一人のオーディエンスとして感じています。

彼の変化に、昔とは違う形で魅了されている私もまた、色々な変化を経てきましたが・・・・・
変わらないのは、彼の舞台から光を感じる!ということです。
昔も今も熊川哲也というダンサーは、私にとって光のダンサーであることだけは、変わりませんきらきら!!
そして、これからも長い将来の先に彼が芸術監督に徹するような日がきたとしても、舞台そのものから
彼の光を感じていたいと願っています。

母親の愛、父親の愛、
それぞれの形は違っても、バレエという、残酷なほど美しく、厳しい世界の中で彼が挑戦を続けていけている
支えの原点になっているのかもしれません。


今ではカンパニーの次世代のスターを育てる事にも精進される熊川さん。


そして、可能性のある子供達を育てたいと願ったり、大人になってもバレエをすることの楽しさや
幸せを伝えていらっしゃる熊川さん
はあと


もちろん、バレエという芸術に年々深まってゆく愛も彼のエネルギーになっているとは、最近の彼の
言動から感じますほし

ただ、間違いなく熊川さんに今もなお、場合によっては厳しい言葉をくれる場合もあるかもしれないお父様の愛。
若くして、逝ってしまわれましたが、熊川さんの舞台を見るたびに涙されていたというさち子さんの愛。

お2人の愛は、今も熊川さんの中でしっかりと生き続けている・・・・と、そう信じています。

そして、熊川さんご自身もご両親のような深い絆で結ばれた幸せなご結婚される日がくる事を
心から願っています