障害者と暮らすこと | 熊本ヨガ講師 RYOのYOGA的美人道

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熊本ヨガ講師Ryo
【ホットヨガ】
STYLISH YOGA ROOM Padma
【yoga】
SAHAJI

目指していたのはメイクアップアーティスト。
外側を磨くことから内面を磨くことに変わり
女性のため、新しい命のために
指導するヨガの講師となりました。

2020・9【障害者と暮らすこと】

兄が入院した。
私を含め
母、兄と膝にトラブルを持っている。
そんな、兄は重度の障害者。

ある日
兄は膝が腫れ歩けなくなった。
その1ヶ月前には膝を骨折していた。
痛みを口にしないから家族もわからなかった。

腫れ上がった膝。
夏の暑さが頂点に来る頃
兄の膝は
即、手術となり
感染症対策のため、顔を見るお見舞いは禁止された。
寂しかっただろう。

2週間の入院を経て
帰ってきた兄は、寝たきり生活だった為
全く歩けなくなっていた。

装具をつけると少し歩けるからと
気晴らしに
プラネタリウムへ連れて行った。




その翌日、35.5°と言う発熱。

感染症を疑い夜中に慌てて家族総出でいろんなところに電話する。

おにいちゃん味はした?
頭は痛くない?
関節は痛い?

兄・べつにどーもないよーぉー。

兄が喋る言葉はほとんど家族でしか聞き取れない。けれど、やはり痛みを伝えてこない。
感染症相談ダイヤルでは
症状や2週間の行動履歴を事細かく聞かれた。
けれど本人が理解していないから
伝える事は私たちが目視できることのみ。

翌朝病院へ連れて行くと
膝に細菌が入りそこからの発熱だと。
サポーターにまけているのだと。

即、入院。

ちなみに、膝に傷口は無い。
どうして骨折したかも
どうして傷口がないのに細菌感染したかも不明。

私たちには膝関節と向き合わないといけない何かがあるようだ。

母はまだ若いのにほとんど歩けない。
私も長い時間は歩けない。

障害児はね
生命保険や入院保険など
あらゆる保険には入れないんだ。
それを見越して
我が子は生まれた後、すぐに保険を契約した。
それがわかるとかけれなくなるから。

今回の入院から兄が帰ってきたら
もう、普通の生活はできなくなるであろう。
車椅子の購入と家の住み替えを考えなければならない。
私は
そんな兄を連れて
プールでウォーキングをさせてみようと思う。
小学生時代は私が毎日、兄のそれに付き添っていたことを思い出す。

でも、その時に言われたんだ
「汚いからこの人たちと一緒のプールに入りたくない」
「よく毎日来れるね」
「また来てるの?」

そしてあの白い目。

その中には学校の先生もいた。
それも担任のね。

プール。というと一瞬でオーバーラップする
あの映像と胸に刺さる
あの声。

あの頃から
人を信じることをやめた。
団体に属することもなくなった。

人を信じたり頼らなくなったのは
人を信じることができなかったあの頃と
頼るはずの先生からのいじめが原因。
そして、周りの大人たちからの心ない言動は
今の私が
人に頼らないという人格を形成させた。

幼少期の出来事は
こうやって今も熱よく残る。
そして、そう簡単には変えることができないくらい深い闇。

だからこそ
息子にはその闇に飲み込まれないように
人を信じたり、頼ることを
普通にできる人間になってほしい。

兄はまた入院となだだけれど
我が家より病院の方が生活しやすいかもしれない。
段差の多い古い家よりね。

退院したときのことを考えなければ。
そして、今後のこともね。

先は長い。
やるしかない。

どんな時も希望を忘れないこと。

登らない太陽はない。
これ以上、落ちる事はない。

人生そんな捨てたもんじゃない。

その世界だって面白い事はある。
頭の中の考え方次第で、私たちは幸せだと思うことが沢山ある。

前を向いて歩いて行くしかない。
大丈夫。私にならできる。

そう、言い聞かせる。