こんにちは。
ご訪問ありがとうございます❢
昨日、 3月11日は私の中学校時代の友人の誕生日でした
日本人として忘れてはいけない 3・11。
お祝いムードはなく、 粛々とのニュースばかり流れていますが、それはそれで大切にしながら、友人の誕生日は誕生日として、メッセージを入れさせてもらいました。
(14時46分には利用者さんのところで一緒に黙祷しました。)
その際 気がついたことがあったので こちらに書かせてもらいます。
友人は3人の男の子を授かっています 。
まだ小学生、 保育園生と手のかかる年頃です。
そして発達の方にも特性があり 支援を受けている子達です。
男の子のため 力もあるしまだまだ子育てが長いと言っていましたが、「助けてと周りに言いながら助けをもらって育てていくよ」 とメールが来ました
その時に、「私にできることなら何でもするよ」と伝えましたが 、私がしてもらって助かったことを考えて感じたことです。
実は私 、3人姉妹の長女べきねば が強く、21歳で結婚 、22歳で出産。友達の数は少なく、自分の周りに小さい子がいなかったこともあり、誰にも頼れない。私がしなければいけないと思い込んでいました
子供が生まれてすぐは、 夫が仕事 。私が育児休暇のため 、ほぼ全て私がしていました。私の両親が同居していたのですが、両親ともに 共働き。
当時 40代だった母は、手術室の看護師として、 朝出て行けばいつ帰るかわからない 、帰ってきても緊急の呼び出しでまた行くような生活をしていたので、 必然的に家事全般は私がすることになりました
もちろん 育児の相談をする暇もなく。
私が1年の育児休暇を明け、仕事を再開してからも、今までの流れが染み付いているため 、朝保育園に送って、仕事に行き、 仕事から帰って、 保育園に迎えに行って、そこから家事全般をするような生活を続けていました
当時のスケジュール
朝4時前後 子供の授乳のタイミングで起床
朝食の準備、 お弁当の支度(両親と私と夫の4人分)
6時〜7時 子供が 起床
夫 6:30仕事へ(朝食はコーヒー
のみ)
子供のトイレ 、顔洗って、朝食、
着替え 保育園の準備、朝食の片付
け
7:30 嫌がる子供を何とかチャイルドシートに乗せ保育園に出発 。ギャン泣きの子を保育園の先生に預けて仕事へ。
8:15 出社 着替えて準備をして8時半から仕事開始
12時 早出、遅出当番があるので食事は時間は前後しますが 昼食
17:15 退社 着替えて 保育園に迎えに 職場から保育園まで約30分 保育園の預かり時間は18時まで。
18時 保育園 到着。すれ違うお母さんに大急ぎで「 お疲れ様」とお互い 声をかけて 足早に家に帰る。
18:30 お腹が空いている子供にパンやバナナをとりあえず与え 晩御飯の準備
この時すでに父と夫は帰宅し座って新聞を読んでいる
19時 やっと 夕食ができ、 みんなで夕食 タイム 。私は子供に食べさせており、 自分が食べる時間はない。そのため 作りながら 途中でつまみながら作る。次の日のお弁当に入れるものは避けながら。お弁当に 入れる ものが少ない時には、 野菜や ちくわ など、切るものを切っておく。(お肉や野菜など 週末の買い物の時にまとめて切って冷凍しておく 朝 解凍すると帰ってすぐに使える)
19時半 夕食の片付けをして子供をお風呂に入れる、パジャマになり、歯磨きタイムする。すでに子供はウトウトしてる。洗濯物を回しておく。
20時半 布団に入り 子供を寝かす。
21時 前の日の洗濯物を取り入れ お風呂上がりに回した洗濯物を干す。
そんな1日を過ごしていました。
この1年後には夜勤も再開し、 1年半後には2人目が生まれ、まさしく カオスの状態で過ごしていました。
そうです。 何でも自分がやらなきゃと思って 、夫や父にも頼めずに自分でこなしてきました
私がやったんだからできるでしょそんなこと思いません。 むしろ、 やってはダメです
こんな状態の私がどのように子育てをしたのか。 自分に余裕がない、時間がない、 やらなければいけないことばかりで、目の前の子供たちが可愛いと思えなくなる。そんな子育てをしてはいけません。虐待まではいかなくても子供達が話しかけても「ちょっと待って、 後で聞くから」と何回言ったでしょう
ただ目の前のことに追われて、今 写真を見ると、とても可愛い子供達のこの時代を見過ごしてきたことを、何よりも悔やみます
今、助けてと言いながら子育てができる友人は、今後、人が助けてほしいことがわかる人になるんだろうなと思い、「できることがあったら」などと曖昧なことしか言えない自分が悔しいと思いました。
なので、自分がそういう子育てをしてきたことを伝え、わからないから手伝ってほしいことを教えてほしいと伝えました。
私があの時欲しかったのは、一人でコーヒーを飲む時間。スタバに行くなんてとても出来ず、冷めていないコーヒーをゆっくり家で飲みたい。そんな些細な願いだったなぁと思い出しました。
子育ても介護も一人ではできません。 そして、助けてと言って、 助けてもらったそれ自体が財産だなと思いました。