前回の続きになります。
娘は、中学2年生になりました 。
児童精神科に通った結果は、 ASD という診断でした 。
認知症のように画像での検査をするわけではなく 、テストのようなものでの検査と、幼児期からの話を聞くことで診断を行います。
当てはまることもあれば 、当てはまらないこともあるような、 曖昧な結果でしたが 、診断はつきました 。
私の中では白か黒かというところで、発達障害か そうではないのかと考えていました。
この考え 自体が、発達障害の考えと全く違うものだと気がついたのは 後のことです 。
本当は全てが グレーゾーン。 白と黒の混ざり合った グレーの場所がとても多く、 世の中の大半の人はグレーゾーンに入っていると思います。
日常生活に問題が起きた時に診断される 、都合のいい言葉が発達障害なのだと私的には考えています。
1年生から支援員の先生をつけていただいておりました 。
その状態で落ち着いてきていたのですが 、支援員の先生をつけてもらうには 、支援学級への移動の必要があるという制度になっていたのです。
通常級で支援員さんを配置していただければ通常の授業が受けれるにもかかわらず、 支援学級に行かなければいけないというよくわからない制度でした。学校とも何度も話しましたが「 これは決まっていること」と、変えることができませんでした。
中学2年生で支援学級に行った娘。
支援学級の中では、通常よりも 落ち着きがない子、 音敏感な子 、人との関わりが苦手な子が多い環境です 。
その中で人との付き合いがうまくできない娘が通常よりも平穏で暮らせるはずがありません。
当初 支援学級に入る時には、少人数で個別の対応ができる学習指導ができるという名目でお願いしましたが、入ってしまってからはとても 学習ができる環境ではありませんでした。
1年生の間は通常級にいたことから、 通常級の子たちに「お前 障害者 やったんじゃ」とからかわれることもあり、 本人の精神状態は余計にバランスが崩れていきました。 部活をするためだけに学校に行っていた時期です。
剣道は好きだったようで 兄が行っていたこともあり 道場でも剣道をしていました。
体を動かして声を出すことで発散ができていたようです。
唯一の救いは支援級の中に仲の良い友達が一人いたことです。
本人の感情のコントロールが難しくて暴れそうになった時には止めてくれ、楽しいことを一緒に楽しんでくれる そんな友人でした。
からかわれた時や、友達とうまくいかない時 、本人の感情のコントロールがうまくいかない時に、物を投げる、 机を蹴るなどの行為が見られ、 2年生 3年生は頻繁に学校の呼び出しがありました。 本人も、自分の感情のコントロールがうまくいかずとてもきつい時期だったと思います。
病院によっても違うかと思いますが、 お世話になっていた 児童精神科の病院は、感情のコントロールができず暴れている時に電話をしても、なかなか 対応が難しく、 次の予約は3ヶ月後ですと言われるような状況でした。受診時には落ち着いて話ができるため、何にそんなに困っているのですか? と問われる始末です。
そんな娘が高校受験をすることになりました。
本来 行きたかった学校があったのですが 、支援学級や本人の生活態度などから、受験は難しいと言われ、 入るところがないと困るため、 本人、 担任、 副担任と検討を重ね、 顧問の先生や塾の先生とも相談した結果 、本人が入りやすい 、しかし 夢を叶えられる学校を選びました。
私立の本人の希望する専門の科がある高校。
専願で面接、作文で受験し、無事に高校生になることができました。