わたしのこと
訪問ありがとうございます
介護支援専門員として、発達グレーの母として、今のことや過去のことを綴っています。
今日は自己紹介
書いていくと長くなったので、仕事編で
山口県生まれ。三人姉妹の長女です
母が看護師をしていましたが、オペ室勤務で朝出るといつ帰るか分からない、帰っても呼び出されるような生活で、看護師だけはならないと思っていました(看護師もいろんな働き方があることを頭では分かっていましたが、もっと一緒にいたかったという反抗心もありました)
中学時代、母の友人とボランティアで脳梗塞の後遺症のある方たちと花見に参加しました。
学校の成績がいいわけでも、運動ができるわけでもなく平凡だった中学生。長女気質なのか、「しっかりしているね」と言われると、しっかりしなきゃと思い、まじめにしっかりを周りのために作っているような子供でした
ボランティアに参加し、そこにいるだけで「よくきたね」認められる。車いすを押すとえらいねではなく「ありがとう」がもらえました。とてもうれしく、自分がここにいて助かる人がいる。自分がここにいる意味を感謝される。自己肯定感がみたされ、この仕事をしたい!と福祉科を目指すことに
はい、自分のためのエゴで目指していました
自宅から3時間かかるところに福祉科の高校があり、当時は卒業と同時にヘルパー1級、介護福祉士国家試験受験資格があるとのことで受験。
学校推薦で面接のみで合格。まじめにしていたかいがありました。
3年間の寮生活
高校で授業に介護福祉について学び、夏休みはほぼ毎日実習に行きました。
無事、卒業時には国家資格も取れ、介護福祉士として老人保健施設に勤務。
入所施設に10年。その間、勤務5年目で次の資格ということであまり深く考えず介護支援専門員を勉強し、合格、取得しました
結婚、子供ができ、子供が小学校に上がるタイミングで夜勤が難しくなりデイケアに移動。
デイケアに変わると、自宅からの通いとなり、自宅での生活が見えてきました。
訪問リハビリでは歩く練習をしているのに、デイケアではくるまいす。リハビリでも車いす自走を練習していたり、ちぐはぐさが見えてきて、目の前の人のためにより良い方法は??と考えた時、もっと全体を知りたいと思いました
どんな人と住んでいて、どんな生活をしているのか、家族は?…
理想の生活は?
その思いがあふれて、介護支援専門員への転職をきめました
17年勤務した職場から離れ、初めての就職活動。(高校時代は先生がついていたので)
介護の世界はどこも人手不足。すぐに決まりましたが
介護支援専門員として9年目。
目の前の人のより良い生活のお手伝いができないか模索中です
よりよい生活をしていただくために、どこで生まれ、どのような生活、仕事をして、今の生活がどのようなものか、理想の生活は??聞き取りをします。
その方に最適なサービスと組み合わせることが仕事です(ここだけで長くなりそうなので仕事の内容は別に書きますね
)
今日も目の前の人の生活が楽しくなるような支援ができるように笑顔でいってきます。