最近日中関係がきな臭い~高市総理、慎重に対応して頑張ってくださいね。

思い出したのが、12年ほど前ヤフーブログに投稿した日清戦争の印判なんです。

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最近の中国の海軍強化は目覚ましく、どこまでやるのかと思っていたら、目標は世界一の海軍力を持つことで、

その原因は新聞によると、日清戦争に大敗した事にあるみたいです。

 

7月25日は日清戦争の勃発の日で、120年目~今年は二回目の還暦の記念日で、これまでの日本批判よりも

敗戦からの教訓を学び世界一の海軍を作らねばならないと言うのが海軍力強化のお題目なんです。

 

今の主席に近い将軍が、日本の大陸侵攻を分析した結果、日本国に大きな災害&事件が発生した時、そして強力な指導者が出現した時が重なった時が一番危ないみたいです。

今がまさにその時だそうです。

 

そういうことで、この日清戦争の記念館をより充実させ国民の関心を海軍力強化に向けようとする

のが大目的なんです。

 

今までの様に清国の退廃を原因とせず、失敗を分析して成功に導かそうとする心は単純な反日と

違ってあっぱれと言うほかないです。

120年前の海戦は、この様に小舟で相手の船に近づき乗り込んでから、相手をやっつける、江戸時代の様な戦法をとっていました。

 

日清戦争の後の、日露戦争でも、似たような方法を取っています。

バルチック艦隊をメタメタにした七段構えの戦法に出てきますが、夜になったら小舟の水雷艇を使って

敵の船に近付きやっつけると言う方法があります。

 

これを考えたのが、日露戦争の英雄!秋山参謀ですが、彼は村上水軍のなかでも一番強力な能島水軍の末裔で、村上海賊の戦闘を研究して、これを日本海海戦に使い勝利したと言うのが通常の説ですが、この印判ですと10年前に、小舟による襲撃は使われているんですね。

秋山参謀は、これを水雷艇に変えました。

頭いいです。

 

日清戦争の海軍司令官は、伊東大将です。

薩摩出身の伊東は竜馬と一緒に勝海舟に航海術を学び、その後留学~大変な秀才だったみたいです。

薩英戦争では、仲間と一緒にスイカ売りに化けて小舟に乗り、イギリスの戦艦を乗っ取ろうとしますが、

何故スイカ売りが英語をしゃべれるのかと言うことで正体がばれて逃げたみたいです。

この小舟による襲撃は、多分その時の応用と思います。

 

この海戦で敵はメタメタ~無茶苦茶な勝利だったみたいです。

戦力の面では清国の方が上なんですが、戦闘意欲が低かったのとモラルがメチャメチャに低かった

のが勝因でした。

 

この海戦に世界の海戦史上の中でも初めてという不名誉な記録が残っています。

それは、敵前逃亡なんですね。

戦艦二隻が、戦いを棄て港に逃げかえります。

激怒した皇帝は艦長を打ち首ににしました。

以後~どの国でも戦艦が無傷で逃げかえるような不名誉な記録は無いです。

 

そういえばK国では、沈没した船から船長が真っ先に逃げると言う事件が有りましたが、何と無く共通

した所がみられます。

 

一方清国の総司令官は~日本からの降伏要求も跳ねのけて徹底的に戦闘を続けます。

本人は、日本海軍を手強い相手と思っているので戦闘は極力避けたかったのですが、皇帝に罵られて

戦闘を開始します。

最後には白旗を上げて降参、本人は毒を飲んで自殺です。

降伏後~全員船を棄て清に帰りますが、ジャンク船で遺体を帰そうとするのを伊東大将は憐れみ、

商船を一隻解除し、これで連れ帰ります。

激怒した皇帝は、葬式を禁止して、財産を全部没収しました。

 

記念館に、もしもこの様な資料が入り込むと本物になりますね。

出来あがったら、ゆっくりと覗いてみたいものです。

日本人、大歓迎と書かれているかもしれません!

明治32年の日本海軍の大演習です。

日清戦争の勝利のお陰で、不平等条約は随分と解消しましたが、まだ全部ではありません!

ここにロシア・フランス・ドイツの三国干渉が入るんですね。

そして泣く泣く遼東半島を帰すんですが、中国の要所は外国勢に乗っ取られます。

 

当時のアジアは、日本とタイとだけ残して後は全部、列強各国の植民地になりました。

三国干渉が入った時点で、ロシアの日本戦略がより鮮明になりました。

フランス・ドイツは、怖いロシアには西を向かずに東を向いていて欲しい!日本は格好の餌でした。

 

そして、モスクワ~ウラジオスットックまでの世界一のシベリア横断鉄道は建設中です。

ウラジオストックの意味はズバリ「東洋支配」なんです。

 

の時代は、戦争に勝てば文明国と認められ、侵略されれば野蛮国ですから不思議ですよね。

そして、どの国も帝国なんです。

日清戦争の後、清国の属国で有った朝鮮が主家から分かれ朝鮮王は大韓帝国の皇帝となります。

 

日本の不平等条約が完全に解消されるのは日露戦争後ですから、この後10年もかかっています。

戦争をせずに平和的に解決をする。

これは難しいですね。

日本は戦争をして、それに勝って初めて先進国の仲間入りができました。

左、日清戦争

右~来る日露戦争に向かって演習中の印判です。

この後、なにかとロシア側に難題を持ちかけられます。

日本は折衷案を出すんですが、はねつけられます。

 

もしその案をのみますと、次にもっと下方修正した案をだしますね。

ロシアが征服した国に対しては全部そうでした。

日本だけは特別?そりゃないですよね。

 

今だって、日韓中の後ろで~ジッと見ているのはロシアなんです。

 

日清戦争の印判は多く残っています。

浮世絵もそうですが、日露戦争になると、極端に減ります。

戦争に必死だったんでしょうね?

もしあれば珍品です。