週一で心臓リハビリに行ってます。
ここで心筋梗塞の手術をしましたが、まあ多少は回復しています。
ここは~市内では大きな病院になります。
病院のリハビリの施設がある8階から見た景色です。
何もなさそうな景色ですが、この辺りは歴史の宝庫なんです。
この写真を見て思い浮かべるのが!
①明智左馬之助の湖水渡り(正面の山の下側部分です)
②石垣づくりの名人~穴太衆(同じ所)
③「急がば回れ」です。
*右の緑の部分の島(矢橋)から対面に船で渡ります。
つまり近道ではあるんですが危険もあります。
この3件を順をおって思い出していきます。
①明智左馬之助の湖水渡り
正面の山が比叡山~その下辺りが、明智光秀の居城があった、坂本です。
比叡山の焼き討ちで功労のあった光秀が最初にえた領地がここです。
坂本城は幻の城と言われ、現在発掘中ですが、最近~当時の石垣が出て来た
とかで京都新聞をにぎわしています。
坂本城で有名なのが、光秀の娘婿「明智左馬之助」の湖水渡り~城に逃げ帰る
途中敵方に囲まれて、馬に乗ったまま~湖水にドボン~そのまま湖水を渡って
城に逃げ帰ったシーンが、凧に描かれて瞼に焼き付いてます。
那須与一の扇の的と左馬之助の湖水渡りは、人馬一体となった最高にカッコいい
シーンです。
②石垣づくりの名人~穴太衆
以前行った安土城の息を吞むような素晴らしい石組み
自然石で組まれているのが驚きでした。
坂本は比叡山延暦寺の門前町で、ここの「穴太衆」と呼ばれる集団は、戦国
時代を中心に活躍した石積みの名人集団だそうで延暦寺の石垣はじめ、安土城
のみならず、全国の城の7~8割は、この穴太衆で組まれたとか、そう言えば、
この琵琶湖まわりの石垣の見事なお寺は沢山あります。
ネットより抜粋!
穴太衆とは!
「穴太衆の名を一躍有名にしたのが、織田信長が琵琶湖の東岸に建てた安土城だ。
1571年の比叡山焼き討ちの際、信長は二度と再興ができないよう焼け残った石垣の
打ち壊しを命じる。ところが石垣はいくら崩そうとしても崩れず、その堅牢さに驚いた
信長が、安土城の築城に穴太衆を動員したという。
それ以来、穴太衆の名は全国で知られるようになり、のちに姫路城や竹田城、
さらには大阪城や名古屋城、江戸城も穴太衆が手がけたといわれている」
成程~リハビリを励んで丈夫になったら、滋賀の石垣周りをしてみたいと
考えています。
③「急がば回れ」
最近では「チコチャンに叱られる」で登場しましたね。
超有名な言葉に「急がば回れ」と言うのがありますね。
それが、この写真の中にあるんです。
つまり手前から、向こうに船で渡ると言う事なんです。
お江戸からはるばると52次の草津の宿場までやってきました。残すのはあと一つ
53次の大津です。
ここまで来たら随分と体もバテてますね。
最後の踏ん張りはきかず、船で寝て渡りたい!
誰もがそのように思うにですが一寸待てよ・・・
よく考えろと言うのが「急がば回れ」です。
赤の星マークがpadaのリハビリをしている病院で矢橋と書かれているのが、渡し船
の発着所で、対面の大津まで船で渡ります。
これがAルートで約2時間~歩かなくてもいいから楽ちんですね。
これに比べたらあの有名な瀬田の唐橋を渡るBルートは約3時間テクテクと
歩かねばなりません。
この一時間差を惜しんだため、遭難した人が沢山いるんです。
数日前に、琵琶湖で○○大学のカヤック遭難事故が大々的に報じられていました
が、普段は静かな琵琶湖なんですが、それが急に荒れだすんです。
padaは琵琶湖から6Kほど離れた所に住んでますが、突然ビュービュー風が吹く
こともあるんです。
原因は、突然吹きだす比叡おろしでしょうか?
これが湖上で起これば手に負えなくなり、昔から遭難が絶えなかったでしょうね。
少々の遠回りでしたら、安全な方がいいですよね。
padaは今大事なのは体力をつける事。
心臓のリハビリが最優先~「急がば回れ」秋に向かって頑張るぞ!