明治印判は面白い!

文明開化で陶磁器の世界も一気に変わってきました。

コストのかかる手書きの磁器が消えていき、手軽な印判がドンドン作られたんです。

窯元も瀬戸~美濃あたりにドンドン増えて、販売競争になりました。

より多く売るが為に考えたのが、絵付けで、魅力ある画をつけて売り出すんです。

手っ取り早いのが時事~最新のニュースを茶の間で使う茶碗や皿に絵付けして

売るんです。

手早く作って売れば、客が飛びつきます。

人気のある画は、当然売れますね。

当時の印判はニュースを国民に知らせるメディアにもなったんですね。

 

時事印判~時がたってみれば、過去を語る生き証人なんです。

この様な陶磁器、世界広しと言えども日本以外にはないです。

 

骨董大好き~買う買う病をわずわったpadaは、お金が無い!

骨董屋でお茶を飲んで、何も買わずに帰るにもバツが悪い~そのような時に印判を

買うんです。

つまり義理買い~はじめはそうでしたが、骨董は買ってみなけりゃわからない!

自分の物になったら、見方が変わってくるんです。

調べているうちに、次々~欲しい物が出てくるんです。

困ったものです。

 

その様な時に、ネットで見た印判~どうしても欲しくなり、買った幻の東京

オリンピックの印判です。

この頃には、日本では棒高跳びの金メダルが期待されていたんです。

*今では考えれませんが、当時の日本は棒高跳びが強かったんです。

  勿論理由はあります。

それでオリンピック開催に先走り、この様な印判が出てきたんです。

何故か?

理由を探していくのが、時事の印判の楽しさですね。

ヤフーオークションを見ていたら、面白い印判皿を見つけました。

締め切りはあと二日、誰も入札していません!

この皿は、結構珍品なんですね。

 

その珍品の割には、ブログ友がUPしているのを2度見まして、ほしいなと思って居たのですが、その皿が目の前にあります。

 

締め切りの10分前、誰も入札しません、エイとばかり入札をしました。

後二分、これで決まり方と思った瞬間、アレレー又か?

時間が10分前になって、どなたかが入札!

 

すかさず、私も再入札、デッドヒートかと思ったんですが、相手の方が、それ一度で

引いてしまい手に入れる事ができました。

 

昭和の印判、焼き物として見るのには魅力がほとんどありませんが、その時の時事として

見るには魅力一杯の陶磁器です。

棒高跳びの絵の下に日の丸、上下に5輪の輪、そして桜に菊。

これは、友情のメダルとして有名な、昭和11年のベルリンオリンピックを記念して作られた

物なんですね。

そして次のオリンピックは東京に決まっていて、日本に一番勢いが有った頃の話でした。

 

朝10時に始まった棒高跳びの競技は、4時頃にはアメリカ人のメドウスに金メダルが決定

そして、銀・銅、決定に残ったのが早稲田の西田と慶応の大江の二人でした。

この早慶合戦のデットヒートが夜の10時近くまでくり広げられ、ドイツ人を熱狂させました。

 

両者ともヘトヘト、此処で、同じ日本人だから二人で決めてほしいと、要請が入り、一回目で

4m25をクリアした西田が銀メダル、2回目でクリアした大江が銅メダルになりました。

 

日本に帰った二人が、お互いの銀銅メダルを切り合わせ、二人で分け、これが友情のメダルとなりました。

ここまでが、小学校4年の道徳教育に使われたあらすじです。

皿の裏側はいたって平凡です。

 

ですが、これの裏話がまた面白い!戦前の歴史感じます。

このベルリンオリンピックはヒトラーオリンピックと言われたくらいナチスドイツの軍色が

前面に出たものでした。

 

そして次回に決まった東京オリンピックは、イタリアも手をあげていたのですが、ヒトラーが

介入してムソリーニが辞退したそうです。

 

オリンピックの表彰台、2位の位置に上がったのは、銅メダルの大江で、銅メダルの位置には

西田が上がりました。

 

銀メダルを持って帰ったのが、大江で、西田が銅を持って帰り、舞鶴の大江の故郷では

提灯行列をしたそうです。

さてこれが、友情のメダルです。

この話が前面に出たのは、そんなに古くはないみたいです。

話が蒸し返されたのが、東京オリンピック前、既に大江は亡く、西田が語っています。

 

この話が出るたびに、西田は曖昧にしていたそうですが、亡くなる少し前に真実を語って

います。

 

もう競技を止めようと切り出したのは、西田の方で、二人とも銀メダルとの思いが有った

みたいです。

ですが、2位が西田で、3位が大江になりました。

 

途方に暮れた、西田が打った次の手が、表彰台で入れ替わる事、これで銀が大江で

銅が西田になったと思っていたそうです。

 

そして大江の故郷では、盛大なお祝いに成ったのです。

大江の家族は医者の名門、遅れて届いたドイツ語のニュースをみて大江の兄が気が付き

メダルを取り替えにやってきました。

頑として譲らず、銀メダルを置いて帰りました。

 

困ったのが西田、悩んだ結果、思いついたのが知り合いの経営する宝石店で、メダルを

分けて引っ付けると言う作業です。

 

これで出来上がったのが、このメダル!実に素晴らしい話ですね。

これを道徳の教科書にのせて欲しかった。

壁紙用に出ていた写真です。

 

この翌年、アメリカで行われた棒高跳びの試合で、大江が宿敵メドウスを抑えて優勝、次

の東京オリンピックの優勝候補筆頭でしたが、東京オリンピックは幻に終わり大江は27歳

で戦死、ナップザックの中にはシューズが入っていたと言われています。

 

印判の皿は色々と教えてくれますね。