琵琶湖疎水の桜は滋賀県ではNo2の人気ですが、padaにとっては見たかった桜の
トップです。
水路の両脇は疎水の桜で、上に見えるのが、三井寺の桜になります。
疎水とは水を引っ張る通路の事、ですが、ここの通路は半端ではない!
琵琶湖の水を京都まで引っぱってるんですね。
この疎水工事、明治の土木事業の最難関だったと思います。
ここの門は琵琶湖側からみた最初のトンネルの入り口で、門の扁額には、伊藤博文
の書になります。
これは、13年前の6月に来た時の写真です。
この時から桜を見て見たかった!
それが念願かなって見えたんですから、長生きはするもんですね。
この写真は、水路の中央の橋からとっていますが、反対側は↓
こんな感じ。
右側の奥の方の開けた所は琵琶湖なんです。
水路を遮断する門が二つあるんですね。
何故二つあるか?
これパナマ運河と同じで水門の間で水位を調整して船の出し入れをするんです。
つまり琵琶湖から水路で京都まで行けるという事なんです。
この時はまさかと思っていました。
実は2018年から疎水クルーなんてできました。
この写真の頃にはなかったんですが、今は可能になったんです。
その疎水橋の上から、皆さんが来る!来る!なんて騒いでいますので、padaも
辛抱強く待っていました。
門が開きます!
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皆さん嬉しそうに手を振って~楽しくてたまらない!
日本はドンドン貧乏になっていくが、平和であることが良いな!
ネットで探したら、この様な地図が!
現在地は、丁度padaが写真を撮っているところです。
この橋の上から写真を撮りました。
この絵地図の目的は扁額ですね。
門の入り口出口には当時の第一人者の書の文字が彫りこまれています。
何故、京都市に水力発電所があるのか?
疑問に思っていたんですが、これで謎が解けました。
発電所の発電機の水車を回したのは琵琶湖の水でした。
日本で最初に市電が走ったのは、東京でもない!大阪でもない!京都です。
京都の市電は、琵琶湖疎水の水が動かしていたんです。
当時の市長は、ひょっとして?多分~西郷菊次郎 あの西郷隆盛の遠島地 奄美
大島で生まれた長男です。
・・・この辺り~非常に面白い!琵琶湖疎水は、西洋の植民地政策から日本を守った
英雄たちの働きによって完成したんですね。