何時も行ってた全羅南道の順天の骨董屋にちょっと変わった発掘茶碗が2個でました。
思いのほか安い~この茶碗は地元の茶碗ではなく、お隣の慶尚南道の茶碗
みたいです。
証拠は、この土~半陶半磁の土は、慶尚南道で良いかと思います。
朝鮮半島の地図を真上から見て、丁度真ん中ほどに南河と言う大きな川が流
れています。
右側(東)が慶尚南道で、左側(西)が全羅南道になります。
面白いのは釜山から車で走っていて、見える山肌は白っぽい!つまり半陶半磁の
山肌が見えてくるんですが、南河を渡るとピタリと止まります。
釜山にあった、和人館内の釜山窯では、この半陶半磁の土を使って日本からの注文品
を焼いたと思うと理解しやすいです。
この茶碗は、勿論~李朝人用・・・骨董屋では良く女茶碗~男茶碗と言いますが、
それで行くと女茶碗になります。
それにしても、この高台辺りを見ていると、釉薬と陶土の関係が井戸茶碗に
よく似ていますね。
韓国人はよく言います。
韓国では陶器の茶碗を使っていた頃~日本では作る技術がなくて、木の
茶碗を使っていたと・・・良く聞きますので、小学校ぐらいで、このように教えて
いたのかもしれませんね?
仕事の会議の席上で常に何かを仕掛けてくる李さんから
この様な話がありました。
「李朝の初期頃、韓国の百姓辺りが使っていた茶碗が日本にわたって、高級品
ともてはやされ今では国宝となってる!
padaさん~もちろん知ってるよねと言って~皆さんクスクスと笑うんですね(涙)」
腹立って!腹立って!何か仕返しをする方法はない物かと考えていました。
その頃知ったのが、この井戸茶碗の根拠を探そうと、韓国の文化財保存会が、
あっちこっちの窯跡にブルドーザを入れて掘りまくったんです。
その数~1500(オーバな表現でしょうが?)、その結果はどうだったか?
井戸茶碗どころか、破片一つ出なかったそうです。
個人的には、これは多分和人の釜山窯で作ったんではないかと思っては
いるんですが・・・和人館跡もきれいさっぱり無くなっていますので・・・これも
永久に分からないでしようね。
ここで一つのストーリを作り上げました。
つまり、井戸茶碗を日本からの注文品にするんです。
日本から注文品が来ていたのは、無理のない話なので、説明すれば皆さん
分かります。
多分日本と韓国が共同のチームを作って、韓国中を掘りまくったが、欠片一つ
出なかった。
日本からの注文品で、デザインは日本そして、作ったのは李朝人
~焼いたところは釜山窯だろう・・・本当に百姓が作っていたものが、世に
数個しかない??しかも本国の朝鮮半島に欠片さえもないなんて、絶対おかしい!
これは、昔の日韓合作の品なんだな!多分!
そして、井戸型と言われる、深い茶碗~大きさから男茶碗としたいところだが、
こんな食べにくい茶碗で飯が食べれるか??
飯茶碗ではなくて、お茶を飲むための茶碗なんだね!!
つまり日本向けの輸出専用品なんだよ!
~ワハハ~気分爽快!
日本語の達者な金主幹が、この話を通訳しました。
李さんの悲しげな顔~一寸かわいそうになりましたです(笑)
少し使い込んだところ、貫入が「出てきてます。
ゆっくりと使うと羽ばたきそうですね。
指痕も申し分が無し色がポット赤くなってますね。
これは、赤出来とか、赤上がりと呼んで古陶好きは好みます。
ネットからの切り抜きです。
これも同じく堅手茶碗ですが、それほど赤くはないですが、赤上がりと書いてますね。
これでも赤上がり・・・
信楽&備前の古窯~唐津~志野~なんでも少し赤味がさすのを緋色と
言って、見所にします。
古陶好きは面白いですね。
この堅手茶碗~86年に手に入れて、もう38年たちます。
平凡な茶碗ですが、思い出いっぱいの茶碗です。
次回に続く・・・