不格好ですが、高麗青磁の徳利です。
青磁と言いながら、焼きが少し酸性がかっているのか?少し黄色味を帯びています。
青磁とは、透明釉に、微量の鉄分を混ぜ、還元で焼き上げると言う事を原則と
しています。
ですが還元炎ですと温度が上がらない~そこで酸化炎で温度を上げていき、釉薬が
とける温度辺りで、還元炎にします。
そして溶け終わった後に酸化炎で温度を上げるという感じで焼き上げます。
温度計があり、窯の焼き具合をコントロールができる現在でも難しい青磁なんですが
昔の人は試行錯誤でやってたんですね。
さてこの高麗青磁の徳利の時代はいつでしょうか?
高麗と言っても約500年~朝鮮半島の歴史は、新羅~高麗~李朝、各500年と覚える
ことにしています。
高麗初期と末期では500年違うんです。
この様な徳利でしたら、高麗初期か末期かと言えるのではないでしょうか?
中期高麗は盛期高麗!素晴らしい青磁を焼いています。
始皇帝の命を受け高麗にやってきた徐 福が高麗には立派な翡色の焼き物があると
驚いて、皇帝に手紙で送ったとか!
この徳利の首の部分ですが盤口は難しいのに上手にできてますね。
ですが立ち上がりが、非常に武骨です。
盤口、この部分は轆轤整形と思いますが、首の部分は?
では、底はどうか?
古陶好きは、高台を見るのが、大好き~表面だけを見て40%わかるとすれば、
高台を見ると60%わかる? そしたら両方たせば100%~これは算数の世界で、
そうはならないのが古陶の世界なんです。
古陶マニアは、この辺りでもだえ苦しむんです。
何時も思うのですが、美術館の陳列~正面だけを見せて○○の××だなんて説明
書きをしてますが、そんなものでわかるかと言いたいです。
ですが今では、高台部分の写真をつけて見たり、3方から見える様な展示を
したりしてきました。
これで、その美術館の学芸員のレベルがわかりますね。
さて高台から見れば、この徳利はまず円盤を作って
その周辺に紐つくりから作った輪を積み上げて、その後、轆轤で慣らしたような
感じに見えます。かなり原始的な方法ですので、多分高麗の前期だと思って
いるんですが?
でも末期の可能性もあります。
末期は手を抜くんです。
国内は新勢力が現れ不安な世になっていきます。
それに加え野蛮国日本からは血も涙もない倭寇がやってきて荒らしまくる!
陶工はオチオチト焼き物を作っていたら大変なことになる。
下剋上の世界、さっさと作って、売り飛ばし~いつでも逃げれる体制にしとか
ないと生きておれません!
窯も直さないから、効率の悪い窯になり、出来上がった品は、盛期とは比べようが
ないくら貧祖になりますね。
後期には轆轤も上手になってますので、チンタラと紐つくりはしないのでは?
ですが例外があります。
技術がない物が、徳利をつくったらどうなるでしょうか?
今でも袋物を作るのには初心者は紐つくり~これ小学校の工作でも習いますよね。
だったら高麗の子供は?
同じではないか?
もう一度、この徳利を見てみます。
今度は反対側からの写真です。
何とか形になってはいますが、下手くそですね。
それが、首つくりに入った途端がらりと変わります。
鶴首になってますが、胴から立ち上がった途端、がらりと形が変わり、すっきりした感じに
なるんです。
明らかに上下では作風が違ってきますね。
考えられるのは、上下で作者が違うと言う事なんです。
これは親子の合作だと思いました。
父ちゃんは、子供の作った徳利の口づくりだけをしたんです。
轆轤で修正すれば、この胴体もすっきりするのは簡単~でもそうしなかった!
息子が初めて作った記念の作品かもしれませんね!
飲み代が無いので処分しようと骨董店に持ち込んだことがあります。
店主は、欲しそうな感じです。
そして、指をあてて~ワオー小さな手だなと言いました。
その時、これは悪ガキが、悪さをした痕だと思ったとたん売るのが惜しくなって
やめました。
そう言えば、店主が~我が家で一番いい李朝だと辰砂の壺を出してきました。
胴体に鎹継ぎがされているんです。
何となく言いました・・・そう言えば丸壺で少し傷があるのを見ましたが・・・
・・・ドドド~韓国に行ったら、その壺、是非持って帰って頂戴!!
これは、子供の悪さではないんです。
初めて作った自分作のサインです。
当時の半島の陶工は、多分最下層のクラス、文字は書けません!
まして子供です。
これは、完全な形の発掘品です。
ひょっとしたら、その子供が立派な陶工になり、そして死んで埋葬された時に、この徳利が
副葬品として埋葬されたかもしれないか?なんて思いました。
500年前の子供の指型!
どうですか!珍品ですよね!




