高さ37Cm程~結構大きな物で壁に掛けています。
1998年の8月~9月頃にインドネシアの中部ジャワで手に入れたものです。
この年の5月にネシアで暴動が発生、中国系のインドネシア人が随分と犠牲になりました。
padaは暴動発生後~商社が用意していた専用機でシンガポールに脱出しました。
日本だけの商社だけではなく、オーストラリヤ、その他の国の商社と合同でチャー
タして、空港に待機していた飛行機なんですね。
そしてほとぼりがさめた頃、再度ネシアに行き、中部ジャワのセマランの骨董屋をのぞくと、
このようなものがあるではないですか!
出処を聞くと洋館のレストランからでたとか?
そしてそれ以上聞くなと言う様にニヤニヤ~?
同じようなものが、数点あるんです。
いくら鈍いpadadでもピーンときますよね。
*こりゃ略奪されたものに違いないと!
実際ジャカルタでも骨董街を歩いていたら、人相の悪そうな男がやってきて~一寸、一寸と、影に寄り、これこれと見せるんです。
そりゃ見事な物があるんですが、怖いです。
ですが、ここは田舎の大きな骨董屋さん~値段を聞きますと、条件は全部まとめて
RP○○~安い?
そして安さに負けて買ってしまいました。
送りは船便~勿論、送り賃の方が高かったです。
材料を聞きますと、壁を指差し~同じものだと言います。
つまり漆喰なんですね。
アールヌーボのようなデザイン~なかなか立体的です。
ついでに外して、拭き掃除です。
壁に掛けて何年?
忘れましたが、ホコリがびっしりと積もっていました。
裏からのぞくと、こんな感じ!
こんなのハリボテと言うんでしょうか?
このセマランという町は、オランダ統治時代には港として賑わっていました。
島々からやってくる香料などを、ここに集め~ヨーロッパに向けて積み出すんです。
港の周りにはオランダ人が多く住んでいた当時の洋館が並んでいます。
今でもインドネシア人が住んでいるんですが、随分と朽ちているのが惜しいですね。
日本でしたら、整備して倉敷のような名所になるはずです。
このセマラン市は、東インド会社の拠点があった場所で、近くの島々から香料を
集め、ヨーロッパ向けに積み出していたんです。
二次大戦後、戦勝国のオランダ人が戻ってきました。
スカルノが独立戦争で、これを追い出し~この町で独立宣言を行いました。
この独立宣言のラジオなどが町の博物館に残されています。
そう言えばジャワ原人も、この町の出身です。
日本の残存兵も、これに協力したそうで、日本人に対しては結構暖かい感情を
持っているのもうなずけます。
一寸、小壺をおいてみました。
よく考えてみましたら、このような壁掛け台~どのように使われていたのか?
見た事があるのか?
全然記憶にないんです。




