韓国で仕事をしていた時に頂いたカップです。

これ見るたびに思い出すのが、この部分の画~これをネットで見つけた生々しい画面は↓

レードルと呼ぶ鍋なんですね。

この中は1200度を超えるマグナの様な溶けた鉄が入っているんです。これをレードルクレーンと呼ぶクレーンで運び、鍋の底をひっくり返して湯(鉄)を次の工程に引き渡します。

これは非常に危険なクレーン~現役時代には、このクレーンの上で何度も徹夜をしたことがありました。

今でも夢に出てきてトラウマになってますが、その一番は↓これ!

昔の記事ですが、これも何度も思い出します。

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2018.11.2415:22

そうだ!徴用工への賠償はポスコがするのが筋だ!

押し入れを開けて探し物をしていたら、こんな物が出てきました。

アア~あれだな~韓国のポスコだ!

竣工記念の記念品だ!

見つめていますと30年前の記憶が蘇ってきます。

 

最近ではポスコと言ったら新日鉄!新日鉄と言ったら徴用工なんて芋づる式に

思い出すようになってしまいました。

そして、今は本物の徴用工への賠償はポスコがするべきだと思います。

*本物に限ってですよ!

話は30数年前にさかのぼります。

padaが務めていた会社でポスコへの出張の話がでましたが、誰も行き手がなく、

こちらに順番が回ってきました。

仕事内容はクレーンの製作・据え付け工事&試運転のアドバイザーです。

S/Vならまだましですが、身分はアドバイザーと言う聞いた事が無いような不安定な仕事、機械の基本設計は我が社、詳細設計は韓国〇〇造船~良く言えば連絡係~悪く言えば人質なんです。

ですが当時は今みたいに最悪の日韓関係ではなく~適当に上手くいってたので

まだマシな時代でした。

浦項製鉄所は釜山の少し北にあり、韓国で初めてできた製鉄会社です。

この工場を作る為に新日鉄は随分と協力しました。

何とて大きな製鉄所の用地から作っていったんです。

そして操業まで指導するんですから大変な事です。

 

この製鉄所の建設当時の苦労話を聞いたのは、日本人からではなく韓国の主管

で有った金係長からでした。

韓国のしかるべき人から日本に製鉄所の話が合った時、当時の新日鉄の稲山会長は日本は韓国に迷惑をかけたから出来るだけの協力を惜しませんと引き受けたみたいです。

 

韓国人にとっては勿論、製鉄所は初めてで、建設当時の工場のすべての関係部門から日本に修業に行き実習しました。

例えば。

①工場内の守衛&掃除の部門

②工場内の消防

③売店の関係者 この様な生産部門とは関係のない人までもが日本にやって来

たんです。

まさに製鉄所一式コピーで、セマウム(新しい心)心も学べ、考えも学べだったみた

いです。

勿論、実習生は我が社にもやって来ましたよ!

例えば↓

コップに刻まれた、この大きな鍋を吊ってるクレーンはレードルクレーンと言います。

浦項製鉄所はpadaのいた会社が作りましたが光陽製作所については韓国の会社が作りました。

あっという間に真似をしてしまいましたのです。

 

この鍋(レードル)の中身はドロドロに溶けた鉄なんです。

経験者になりますと、この鉄が溶けた色を見て何度ぐらいかわかるみたいですね。

クレーン運転手にもある程度分かりますから経験とは恐ろしい。

 

鉄が十分溶けたと言う事を確認してクレーンでつかみ次の工程に移ります。

運転室から見ていると走行して運んでいる時はチャポンチャポンと湯(鉄鋼所では湯と呼ぶ)が揺れて気持ちが悪いです。

この鍋を吊ってるフックから上の部分がpadaの会社で制作したものです。

今鍋が斜めになってますが、これはひっくり返して次のステップに移るところです。

一寸わかり難いのでネットで画像を引っ張り出しました。

これが、コップの画の部分の実作業です。

迫力あるでしょう!

製鉄所は危険な作業が多いんですが、これも非常に危険な作業です。

現場ではどうしても水を使う事があるんですが、水溜りの部分にこの湯が落ちます

と爆発して爆弾の様に破片が飛び散ります。

その威力は凄い、水蒸気爆発と言いまして上のクレーンの20mmぐらいの鉄板でさえ穴が空きます。

このクレーンを運転する運転手~保全・安全等々の人が数年間にわたり入れ替わり立ち代わり工場に実習にやって来るんです。

社内食堂では実習生がうどんを食べると、いっぺんに辛子が無くなるなんていう珍現象が発生したものです。

鍋はメーカが違います。

これはこれで保全の人達が実習に行ったはずです。

 

この様に見ていきますと製鉄所一つ出来る為には、どれぐらいの費用がかかる

んでしようか?莫大な数字になりますね。

この朴さんが、ポスコの生みの親です。

早稲田大学の工学部機械出身~そのあと士官学校~軍人ですね。

ポスコの職員の間では神様の様な存在です。

職員に聞いた話では、とにかく財閥企業に比べてポスコは仕事は厳しく給料は安かったみたいです。

その内に報われるから今は我慢してくれと言うわけです。

とにかく忍耐と言われ続けていたそうです。

それに対して内乱が起きました。

①この時は嫌な人は退職金を十分出すから辞めろと言います。

不満な従業員は辞めていきます。

そして辞めてしまったあと、残った人の給料を一気にあげたそうです。

とは言ってもれ1985年の係長の給料で35万ウォン~この給料は財閥企業の主任クラスと同レベルですからかなり安いですね。

②ですが、良く聞きますと辞めれない理由があります。

それは福祉が素晴らしく良い、例えば家賃~子供の学費~大学までが会社が払う!

ホントかいと聞きなおしたものです。

これが魅力だと担当者は言いましたが、padaも同じく思います。

まさに軍隊式の会社です。

この会長さんが「新日鉄の支援なしに今のポスコはない」と言ってるんです。

この言葉はかなり重たいです。

これは10年前の日本の新聞ではなくて、韓国の中央日報のインタービューで語った言葉なんです。

もう少し詳しくUPしてみますと↓

日本はお金だけではなく、技術援助もしてるんです。

そして何よりも大きいのは何十年も蓄積した製鉄所を運用していくノウハウを教え

ているんですね。

こんな事、無料でしてくれるような会社はどこにもないです。

この技術援助は、ヨーロッパ辺りにも依頼したが全部断られて、援助したのは

韓国が一番嫌ってる日本だけだったんです。

浦項の製鉄所建設は新日鉄が主、その掛け声で集まったメーカの指導の下に韓国は従で作り上げました。

最初頃の操業は新日鉄の指導の元に各メーカの援助で行われました。

此処には日本が実戦で築いた経験が投入されているんです。

 

そして次、僅か10年後から始まった第2工場光陽製鉄所ではポスコが主で従が韓国や日本の各メーカ~それも単なる外注かアドバイザー程度で建設したんです。

無茶凄いですね。

この光陽製鉄所の1基工事の火入れ式が上にエンボスで書かれています。

1987年3月、浦項工場から僅か14年後でした。

これで韓国は鉄の生産量では日本も抜いて世界一になったんですね。

 

鉄が出来れば、造船も出来る、車も出来る~トントン拍子、漢江の奇蹟の出発点は

ポスコ即ち新日鉄でした。

新日鉄は韓国にとっては救世主みたいなものです。

新日鉄が無ければポスコは無かった!

ポスコがなければ造船・自動車は無かった!

ポスコの神様から言わせれば、新日鉄は大恩人。

 

その恩人に対して、単に韓国からの出稼ぎ者があつまかしくも徴用工だと嘘を言って新日鉄からお金を巻き上げると言う事を韓国の裁判所&国家と共同で作り出したんです。

歴史は作られるものである~それがまさに現実。

嘘も本当になると、この様な事になるんですねコリャ一寸酷い!

今裁判所は新日鉄の資産差し押さえを考えているとか!

新日鉄が韓国で持ってる資産はポスコへの僅かな株とポスコと共同で作った子会社の株です。

この子会社の株を差し押さえるのが一番簡単だとか!

恩を仇で返すとは、この事ですね。

 

単純に考えたら、日本からの損害賠償でポスコが出来上がりました。

韓国としては個人には国から支払うから賠償金は国家にくれと言って、そのお金

ピンハネしてポスコが出来上がったんですから、此処から本物の徴用工個人に

賠償金を支払うとスッキリしますね。

今回の様な偽の徴用工は?

こりゃ詐欺師で、偽者になって賠償金をくすねようとしています。

どうするかは韓国政府の考え方次第で日本は、そんな事自分処でやれと言う事

しかできません。

 

しかしどうして韓国は、ここまで酷い国になったんでしょうか?

元々素質があると言う事はわかるんですが一寸酷いです。

この様に増長させた責任の一端は日本にも大いにあります。