東京だよ♪お母さん、これ二重橋の皿だよ♪

こんな印判小皿によく書き込んだものだと見ていて、思わず口から出たのが!
♪~これが、これが!二重橋、記念の写真を撮りましょうか~♪
思わず歌が飛び出てきます。
最初、太鼓橋かと思いましたが目玉の真ん中に柱がありますね。
小皿一杯に橋の絵を描こうとしたら、この様に魚眼レンズを使った様な
意匠に成ってしまったんでしょうね?
 
皇居の二重橋は明治20年に完成、この印判の皿、それを記念して出来たと思えば時代の相性バッチリと思っていたのですが、それが間違いとわかりました。
手持ちの写真集にでてきます江戸城、説明に二重橋と一言!
拡大してみますと...
左の人物は侍、当時は堀は空堀で、歩けたんですね!
時代は幕末でしょうか?
ここの橋、それも後ろ側の橋が本物の二重橋です。
木造時代の面白い橋ですね!これが建てなおされて、次の様になります。
明治26年のスケッチですが、建物が無くなり随分とすっきりしました。
橋が二つあるから二重橋?これ間違いです。
アーチが二つあるから、手前が二重橋?これも間違い!
正解は、後ろ側の一段と高い鉄橋が二重橋なんですね。
何故二重橋と呼ぶか?その理由は...
これが現在の、二重橋なんですが、ここの部分は一段と掘りが高くなっていましてこの鉄橋がかかる前は、橋の下側の凹の部分に橋がかかっていて、その上に、もう一段橋をかけていました。
掘りが高すぎて、これにあう柱が無かったみたいです。
橋が二階建てになったので、それで二重橋の呼び名になったみたいです。
↑ネットから推定二重橋を借用しました。
これでしたら一目瞭然ですね。
 
四国の愛媛から初めて、東京に行ったのが高校の修学旅行でした。
東京見物の常磐とは言え、この前で写真を撮ったのが懐かしいです。
5年ほど前に当時の仲間と同窓会をしました、みなさん変わっていて見分けはつきませんでしたが学生時代の出来事を紐解いていきますと随分と思い出して行く物です。
相通ずるところが有り懐かしいひと時でした。
良い歌だと思っていたんですが、作曲は船村徹さんでしたか! 
戦後の歌~良く聞くと一寸泣けてくる歌です。    
二重橋と言えばお上りさん、そして、この歌を親孝行の歌と言う人もいます。