ネットで買った明治印判の本を開けると最初のページ出て来るのが長良川鵜飼の印判です。
持ってた本が無くなって、又欲しくなって買った理由の一つが、この印判が最初のページに
あるからなんです。
昔の本ですから、カラーは最初の4ページだけ~そのトップに出て来るのは嬉しいです。
川が有って、山があって向こうに東海道線の鉄橋が見える。
それだけでも楽しめる所に鵜飼の船が5隻も見えるなんてホンマ素晴らしい絵皿です。
padaのお宝「長良川鵜飼の印判」~印判は図録に載る様な物でも自分で持つ事ができる。
これ良いですね。
padaが最初に就職した所が四日市でした。
車で20~30分で、長良川に出る事ができました。
青春時代の後半の思い出がいっぱい詰まった皿かもしれません。
熊太さんが言う所の、開化は文明開化の事で、これが一番奥の東海道線の陸橋を意味してます。
そして民俗資料~これは鵜飼の事ですね。
ですが、これでは足りません!
さらに、もう一つ~歴史の生き証人でもあるんです。
padaは鵜飼は見た事がありませんが、5隻の各船には鵜匠が二人ずつ乗り込んでます。
鵜飼の歴史は1300年~織田信長から江戸幕府によって手厚く保護されていたみたいです。
松尾芭蕉が「おもしろうて やがて悲しき 鵜飼かな」とよんで、大ヒット~シーズン中は物見
遊山の観光客であふれたみたいです。
明治に入って衰退、細々とやってたんですが、明治天皇がやってきて、長良川の鮎を食べて
大感激~これを機会に鵜匠は皇室職員となって今では国家公務員です。
凄い歴史ですね。
さて熊太さんが開化資料としても一級品と言うのは遠くに見える東海道線の鉄橋の事を言ってるんです。
当時としては最大級の鉄橋とか、長良川に鉄橋が何本もかかるわけではなく、これが東海道線と決めても良いと思います。
これ全体がトラス構造になっていて、注目すべきは橋脚でパイプ構造になってます。
この橋の完成は明治21年です。
そして明治24年~この橋は壊れ、橋脚は煉瓦製の脚に変更されるんです。
ほんま、この橋の命は短命でしたが、おかげでこの印判の製作年代がある程度推測されました。
橋が壊れた原因は、この地震にあります。
大鯰が大暴れして地震を引き起こしたんです。
その結果~上の方をみて見ますと~蒸気機関車が走ってるんですが、その先の長良川にかかる橋は~アレレ!
折れている!
拡大したら、この様になります。
鋼管の橋脚の強度不足で橋が折れてしまいました。
和装の男性2人と洋装で帽子とコウモリ傘を持った男性が倒壊した鉄橋を眺めています。
設計者はお雇い外国人のポナールと言う事ですので、設計者かもしれませんね。
煉瓦作りの橋脚とは~↑になります。
印判の橋脚とは明らかに違います。
これは地震発生前の印判皿です。
製作時期は明治21年~24年の間3年間に絞られました。
この様な遊びが出来るのが明治印判の面白さですね。
歴史ロマンが潜んでいる古陶がさりげなく普通にあるのは世界広しと言えども日本ぐらい
と思います。






