山のお手伝い(玉ねぎの植え付け・薪移動) | まさや爺さんの贈り物

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このブログは、家庭菜園とフォルクローレを趣味にして、つれづれなるままに、書いたボケ防止の練習ブログです。

玉木

 薪の山

 農園


まず農作業から始まりました。玉ねぎの定植です。早生の玉ねぎなので、100本200円だそうです。苗は、あまりよくありませんがネギ類なので、ちょっと疲れた苗でもうまくいきそうです。一応畝が出来ていました。ただちょっと幅のずれがありましたが、問題はありません。


 平に整地され上手に出来ていたので、素人ではないと思いました。そこに、この土地の地主さんがやってきました。もちろん農家の人です。自分は、農家の人と話すのが、とても好きです。まるで宝石がちりばめられているようです。この農家の人は自分の土地を3人に農園を貸しています。


 玉ねぎの苗を植えだしたら、色々苗の植え方を教えてくれました。農家の人が作業を見れば、この人できるなとかすぐに見分けることが出来ます。まずマルチを張りました。そしてトンボでとめてみました。ちょっとトンボの感覚が広いように思われました。自分のトンボの感覚は、1メートル間隔で大股での一歩です。


 ちょっと畝が広い感じです。苗を植えだすと、農家の人がトンボを持って植え付けしだしました。自分は指で穴を開け両手で押さえてお仕舞いです。そして霜が降りると苗の根が浮いてしまうので、籾殻をかけたほうがいいそうです。自分と同じやり方でした。


 しかし自分は、保温と草が生えないようにやっていたのですが、霜で根が浮くのを防ぐと聞いて、何か新発見をしたみたいでした。常に気候のことを意識する中で、やはり霜はキーワードです。テレビで雷が鳴るとキノコがよく出てくるというのは知っていましたが、それも子孫繁栄のためと聞いて納得するのと一緒です。


 農家の人は、この三人の人の畑をそれぞれの特徴を説明してくれました。まず家庭菜園で同じような冬野菜を作られている人は、野菜の色から肥料が多い少ないを言われました。自分はそんな畑を貸していない立場なので、ごく普通になかなかうまく作られていると思っていました。


 また玉ねぎを植える前作の丹波の黒豆を作るのは、難しいと言われました。普通の大豆とは、違うようです。自分は大豆を作ったことがありますがどうしても農薬を使う機会が多くなるので、最近では作りません。その後は、薪の移動作業です。薪を放り出し、屋根の波板を外しました。


 先日と同じ農作業でした。薪を運ぶ先にいつもおじいさんが待っていてくれます。このおじいさんは、私達のファンになって、いつもこの圃場にやってこられ手伝ってくれます。ボランテアでありがたいのですが、しかしあまり気にしてくれるとこちらも帰って気になってきます。


 人間関係には程よい距離が必要です。おじいさんは、どうも一人暮らしをされておられるそうで、ここに来て馬鹿話をして、「ワハハ・ワハハ」と笑い合うのがとても好きなようです。自分ももうすぐ年をとったら、同じよううになるのだろうと思いました。


 馬鹿話をしながらおじいさんの性格や特徴を感じ取りました。するとやはり寂しがりやなところがあって、いつも帰るときは、ありがとうと頭を下げます。今日は、家のバナナやミカンやトマトをわざわざ持ってきてくれました。それもスーパーのものなので、恐縮します。


 自分は、畑で作ったものをあげるので、新鮮、無農薬と特徴がありますが、スーパーのものは、誰でもお金を出せば変えるので、貰っても正直美うれしくありません。昼前に、クラブハウスに戻りました。すると休みの専門家が来られており、農園を借りに切っている人も来られていました。


 借りている人は、なかなかスマートな栽培管理をされる人です。自分の場合は、どうしても昔のイメージの百姓みたいな泥臭い格好になってしまいます。昔アメリカの農家訪問をしたとき、これが農家の家かと思うほどすっきりとした感じを思い出させられました。


 袋の中には、葉っぱをちょっと虫に齧られたミズナとチンゲンサイが入っていました。密植していたので、間引きに来られたそうです。間引きをしないで、風通しが悪いと、すぐ葉っぱは、穴だらけにされていしまいます。昼からも薪の移動と薪の玉木つくりをしました。ピザ屋さんでは、薪のオガ粉を使われるところがあるので、ブルーシートを敷いて、オガクズも袋詰めしました。