私は人前で自信が持てない子どもだった。

もちろん自分の中で考えはあって、深いところに自信が存在していることには気づいていた。でもどうしても自分をさらけ出すことができなかった。

なぜかと言われると自分にもよくわからない。

確かに母親が厳しかったこともあるかもしれない。

でも、一緒に育った妹はそうではないし、もっと深いところにある何か魂の傷のようなものを感じていた。

学校の先生からあてられた時、周りに聞こえるような声が出なくて、何度も「自信を持って!」と言われてきた。その度に、「自信なんて持てないし私の気持ちもわからないのに軽く言わないで…」と心の中で思っていた。

自信ってなんだろう?っと。大人になってからもう一度ちゃんと考えてみたら、自信があるとかないとかじゃないんだなって気づいた。自信を持つとは、自分を信じることなんだなって。

「私自信がないんです」という人がたまにいるけれど、本当は自分を信じるということ!

自信がない、つまり「私は自分を信じられないんです。」と言っているのと同じ。

信じられないと言っても自分の人生は自分だけしか体験できないし、変えられない。

自分を信じてあげられないのは自分を過小評価して軽く見ているということ。

信じられない自分という存在とずっと一緒にいるなんて苦痛しかないよね。


自分を信じていない人は自分の周りの人からの評価も低くなりがちだと思う。自分を信じていなければ周りの人のいろんな発言に一喜一憂してしまう。影響されすぎてしまう。それで傷ついてしまうくらいなら…

もっと無条件に自分を信じてあげればいいのではないかな?

理由なんていらなくて、何かすごいことを成し遂げたとか、学歴とか、資格とか、給料とか、条件なんて差し置いて自分を信じること、今まで生きてきたんだから、いろいろ乗り越えてきたんだから。

本当はどんな状況の人でも今ここに存在しているだけで素晴しいんだって認めること。それが自信なのでは。


私が子どものころに自信がないと思っていたのは、まだ経験が浅いからという条件付きで自分を捉えていたからなんだろうな。

そして自分のやりたいことを止められたり、怒られたりしたら、自己否定されたと感じてしまっていたからなんだろう。

やっと今、自分を信じることができるようになってきた。

自分を信じることができなかったから、周りに厳しい態度で気づかせてくれる存在が現れていたんだろうな。

今までの人生は精神的にかなり厳しい修行だったけど、自分を信じられない状況から信じられるようになるまでを経験して、事実に気づくために、通らなければいけない道だったんだろうなって今ならわかる。

私は簡単に人に自信を持ってとは言わないし、言えない。その人ごとに事情があるから。

でも、自分を信じていいということはしっかりと伝えていきたい。