高血圧である。一年前にはノルバスクのみであったがほぼ1年後の先月の28日に眩暈がして同じクリニックで診察を受ける。下上ともに高い。117-167であった。即薬を追加である。
今回は手足の痺れという自覚症状故の来院だったためかMRIを受ける羽目になったのだった。これは頭の中を見る機械。NEGAを医師とビュアーで見る。どこにも異常は無い。私がNEGAを見て興味深かったのが眼球なのであった。陰画でみる眼球は白く見え、まさに目玉そのものである球状をしているのだった。
脳には血管が走り、ここが詰まればその先に血液が行かなくなるから「駄目」ですね?などと私は医師に呟いたのだった。
薬の追加には依存はないのだが、問題は副作用なのである。副作用の無い薬などないのであるから、要はどの程度の副作用なのかということだ。医師曰く「ほとんどありませんよ~私も飲んでいるんですけどね♪」なるほど医師は人体受験を自らに課しているのであるか、なかなか仕事熱心なのであるな!などと私は感心することしきり。しかしまてよ医師も自分で血圧をコントロール出来ずに薬に頼っているのであるか。
高血圧とはまことにやっかいな病(症状)であるな。
とどのつまりまともに血液が身体を流れていればこのような状態にはならないのである。血液がどろどろになり流れ難くなる。またそれが詰まる。そして血管の内側にコレステロールが付き細くなり血圧が上がる。これはかなりやばいのである。無理に血流を促そうとするから心蔵も疲れる。高血圧は「サイレントキラー」と言われるが、自覚症状が出てからでは遅いとも言われる。まぁ、生活習慣病全般にそれは言えることではあるが。
普通の生活をしていれば高血圧にはなりはしない。しかし都市に生きる我々は既に普通の生活とは程遠いのであれば、なって当たり前くらいに考えているしかないだろう。
我々は何れ死ぬ運命だが、出来れば元気で長生きがしたいものである。死を異様なものとは捉えずに日常のものとして考え、どこまで元気でいられるかを考えるべきなのではなかろうか。元気というのは自分のことは自分で処理できることを意味する。つまり自活ということだ。
身の回りのことは自分で出来ること。さらに言えば人のことも助けることができることを「元気」と呼びたいのだ。自分のことだけをしていて他を省みないことを「エゴ」といい、これは元気ではあるが健康とは言えまい。精神が不健康なのだ。
人を助ければ感謝される。その感謝の気持ちが自分に返ってきて気分をよくする。つまり精神的に満足できることになるから体内の内分泌液が活発に働き、健康に向かうわけだ。これを良循環と言いたい。
逆もある。ねたみ、そねみ、恨みなどの良くない心の状態は身体の機能に悪い作用を与える。従ってこんな心の状態では、たぶん薬もあまり効果を表さないのであろう。生体がありそれの機能を助けるのが薬の役割だ。死体には薬は利かない。
さて私はこれから昼寝する。気分良く目覚めたらジムに行き軽いトレーニングでもしよう!