3人で自己紹介等をしながら歩く。自分は煙草を1カートン持っていた。一服しながらマイケルが言った。「高速歩けばいいかもなっ」的確な判断だった。目指す方向も同じ、登りやすい場所を見つける為に歩いた。
当時、仙台市は災害時の為に、高速道路を避難場所として使えるよう、住民の要請に対して、非常階段の設置を先延ばししてたらしい。
真っ先にマイケルが登り、手を差しのべてくれた。高速道路を歩くのは最初で最後かも…
橋の繋ぎ目は20㎝位の段差があり、既に土嚢が積んであった。緊急車両が通るかもしれないと期待する。
目の前にヒラヒラ紙が舞っていた。千円紙幣が3枚。記念というと語弊があるが、千円ずつ分けた。ここに避難した人が慌ててたのが想像できた。時折、下を覗くと、立派な斜めドラム式の洗濯機、ベンツ、無惨な姿に…
間もなくして後方から護送車が走ってきた!これは乗せてもらえるかも!無条件で停まってくれると決めつけてた3人の前を完全にスルー(笑) 愕然とするも、後の救護所で聞いた話だが、遺体を運んでた事がわかった。
天気がよく、日差しが暖かいのが救いだった。竹田さんの実家は海沿いとの事。家はもう流されてると確信した。だが、家族全員が無事である事がなによりと、気丈に振る舞っていたのが印象的だった。一時間位歩くと、道路のど真ん中にテントが張ってあり、簡易的な救護所が設置されていた。毛布を掛けられ、横になるよう指示された。「水と食べ物ありますか?」と尋ねると、「申し訳ありません」との返答。これに対し、マイケルが「だったら歩くわ!」と毛布を投げ出した。その間、何回も住所氏名を訪ねられた。「自力救助でよろしいですか?」の問い掛けに対して、マイケルが「勝手にしろ」と捨て台詞を吐いて救護所を後にした。