病院から電話はありませんでした。
私から電話があったことを聞いた妹はかたくなに病院での会話を拒否したそうです。
妹とはLINEで退院後会話をする約束をすることで妥協。
そのまま移植の見通しはつかないまま退院。
病院からカウンセラーを交えた会話の提案があったとの連絡がありました。これは私としても願ったりのこと。
7/29午後とのことで、仕事の都合をつけて病院へ。
結局、カウンセラーはただそこにいただけ。
私がどう考えているかを妹と聞いているだけ。
会話のファシリテートも全くできていませんでした。
対立する意見をまとめる、方向性を定めてゆくといった、ビジネスではあたりまえの調整役としての役割、経験はなかったのではないかということ。
なので、この先こうしましょうということもなし。
結局一方通行のまま、進展はなにもありませんでした。
失望しました。
半年後か、1年後か、もっと先かはわかりませんが、
いずれにしても妹はいなくなる、自分としてはどうにもできない事実を受け入れざるを得ないことを認識しました。
「もういなくなると考えよう」
年老いた両親にもその旨を伝えました。
8月頭からまた1か月の入院。
ここで3回目、最後の抗がん剤治療を行い、その後は通常生活に戻って、定期的な通院となるそうです。
5年生存率は10-20%
Thousand Marblesのように自分の残された寿命を数えてゆくような生活。
もしかしたら、それは我々よりもはるかに毎日を大切に、有意義に暮らすことができるのかもしれませんが。
このことを考えると何とも言えない無力感、喪失感でいっぱいになります。
割り切ったつもりでも、どこかまだ割り切れていないのでしょうね。