先日羽田空港の小さな本屋でこんな本を見つけた。
こんなマニアックな本がよくぞ売ってたな~、あんな小さな本屋に。
(第二ターミナルです)
買わない理由が見つからない。
帰り便で一気に読んだ。
斜陽産業で10社の後継者がどうやって生き抜いてきたのかのリアルストーリー。
同業界に身を置く者として大いに共感するとともに、私よりも遥かに悪条件下で活路を見出された皆さんに勇気をもらった。(私は言っても恵まれていたのだ)
このブログの隠れファンには印刷業界や包装資材業界の方が多いから、一読をお薦めしたい。
さて、昨日は来期第59期の経営方針発表会を開催。
今期から期中の2月に行うことになった。
今期、2月決算の当社は「40期連続増収」という、一つの大きな節目を迎えそうだ。
しかし私の脳裏に去来していたのは、華やかな数字ではない。
4期連続減益(情けない)なことも大きいが、それ以上に
今から35年近く前の23歳のあの「不安でたまらなかった夏」を思い出すからだ。
そして、そこから始まった、長く苦しい、けれどかけがえのない「学びの旅」の記憶だ。
「会社を潰すのではないか」という震え
あの夏、大学院受験に失敗し、大きな挫折感の中にいた。
将来の目標を見失い、ならば「実家に戻り、後継者になる」と決めたものの、当時の自分には何のスキルも、経営の知識も、ましてや自信など微塵もなかった。
夜、野田市のアパートで一人ひっそりと、
「もし自分の代で、会社を潰してしまったら……」
「社員やその家族の人生を、背負いきれるのだろうか」
そんな恐怖に襲われ、本気で恐れていたことを今でも鮮明に覚えている。
その不安を埋めるために、必死に本を読み、自己啓発に励んだ。
「会社を潰したくない」という切実な恐怖こそが、私の学びの最初の原動力となったのだ。
タウンページと震える手、そして素晴らしいお客様との出会い
拾ってくれた生命保険会社での修行を終え、27歳で正式に丸信に戻った私を待っていたのは、
「お前なんか後継者として認めないぞ」という厳しい周囲の目。
営業として結果を出す以外に道はない、そう思い至ったものの、私は極度の人見知り。知らない会社に飛び込むなど、本来は一番苦手なことだ。しかし、仕事を作らなければ、社員さんからも認めてもらえないし、会社の将来もない。
私は、分厚いタウンページを片手に、一軒一軒飛び込み営業を始めた。
玄関に入る直前まで、「断られたらどうしよう」と手が震えた。
不孝者の私は親・祖先の余徳をここで使ってしまう。なんと飛び込んだ一軒目のワイン製造会社さんで話を聞いてもらえ、表示シールのご注文を早速頂けたのだ。そのワイナリーのオーナーから「息子が本家で日本酒の造り酒屋を経営しているから、そこにも営業に行きなさい」と。他にも私が創業家の者と分かり、「平木君に仕事を出してあげなさい」と言ってくださる先輩経営者も結構いらっしゃった。
必死に動いていると、天は時として重要な出会いを用意してくれる。
ベテランの先輩営業マンが長期入院することになった。病室から電話で「平木君が担当してください」と指示されたのは当時丸信屈指の大口のお客様。そして気鋭の経営者。まだ印刷の知識も乏しい、若く青臭かった私を、業者、発注者という立場を超えて、一人の「営業マン」として、そして「次代を担う経営者」として、厳しく、温かく鍛えて頂いた。私も必死で喰らいついた。とても激しい方だった。デザインや撮影の打ち合わせで半日も一緒に過ごすと、もう何もできないくらいぐったりと疲れ果てた。優秀な経営者はとてもせっかちで、思い立ったらすぐ実現しないと気が済まない。早朝突然電話があり、FAXでデザイン指示したから、お昼には丸信に行けるのでその時に見せてくれ(笑)などなど無茶なご要望も多かったが、なんとかついていくことで人見知りでも「スピード」を武器にすれば営業としてやっていけると思えたのもその方のお蔭だ。何よりも、気持ち良いくらい仕事を丸信一本にしてくださり、尽くし甲斐のある方だった。(信長と秀吉みたい)
37歳、コンプレックスの海で得た「武器」
それから10年。我武者羅に営業に邁進した。現場の感覚は身についた。社内からの私への厳しい目は消え去った。
しかし、これからの厳しい時代を生き抜くための「戦略的な思考」が圧倒的に足りない。そう痛感した私は、大前研一氏が学長を務める「BBT大学院」の門を叩いた。たまたまお客様に誘われて、拝聴した博多での大前さんの講演に痺れたのもある。
そこで待っていたのは、想像を絶するハイレベルな世界。
周囲を見渡せば、名だたる大企業の幹部候補や、海外法人の社長、ファンドマネージャー、国税捜査官、医師、東大卒、京大卒の切れ味鋭い都会のビジネスマンばかり。普段使いのボキャブラリーが違い過ぎるし議論のスピードについていけず、自分の発言の浅さに赤面する毎日。
「自分はなんて無知なんだろう」
「こんな優秀な人たちの中で、私は本当に卒業できるのか」
かつての23歳の時と同じような、けれどより深い「コンプレックス」の海に溺れそうになった。しかし、ここで逃げたら私、いや丸信の未来はない。平日は早朝から、業務開始まで、週末も多くの時間を費やし、必死に食らいついた。
優秀な同級生たちに助けられ、事務局に発言が少ないと度々叱咤されながらなんとか卒業に漕ぎ着けたあの経験は、私に「学び続ける勇気」をくれた。経営者に完成形はない。経営者が学び続けることだけが、会社を守る唯一の手段なのだと確信した。
「道経一体」の人づくり経営を目指す
40歳で経営を引き継ぎ、今年で17年目のシーズンに入る。
寂しいけど、もはや誰からも若手経営者とは呼んでもらえない。
この歳月を経て、私の中で一つの確信へと変わった学問がある。学び続けている「道経一体思想」「モラロジー」だ。
「道徳(他を益し、喜ばすこと)」と「経済(ビジネス)」は、決して別々のものではない。
23歳の頃の私は、「会社を潰さないために、売上を増やさないといけない」と、数字ばかりを追って震えてた。しかし、数々のお客様との出会い、多くの読書、BBTでの学びを経て、そして道経一体思想、モラロジーを学ぶなかで最近になってようやく気づいたこと、それは
「誰かの困りごとを解決し、喜んでもらうこと(お役立ち)」を徹底的に突き詰めれば、売上や利益はあとから、ついてくる。
である。
もちろん、曲解しないでもらいたいが、当社は今でも飛び込み営業を欠かさないし、展示会にも度々出展してる。WEB広告もやるし、様々なWEB上のコンテンツからお問合せが毎日20件から30件くる仕組みも構築されているし、今ではインサイドセールスチームも内包している。決してマーケティングや営業に無頓着な会社ではない。
しかし、売っているモノや提供しているサービスが凡庸なものだったら無駄な努力だ。製品の品質やお役立ちを磨くことこそが最も重要だと思うのだ。「売るより造れ」はモラロジーの学祖のお言葉だ。
徳の補充が必要
今、日本は人口減少やインフレ、DXの波など、大きな変化の渦中にある。今後継者にまさになろうとされている方々はかつての私と同じような「不安」を抱えておられるかもしれない。
だからこそ、私は今日このブログを書いた。
ここに至るまでに私は両親の深い愛情を始め、多くの上司先輩、OB・OGの皆さん、そしてお客様、仕入先様から多大なる恩恵を頂いた。すべての方に恩返ししたい気持ちはあるが、どれだけ頑張ってもきっと返済できないくらい大きな借財を負っているだろう。親祖先の余徳を引き出し過ぎて残高ギリギリか、ひょっとすると借り越しになってる可能性すらある。
ならば次の世代に何らかのプラスを影響を残すことで徳を積むしかない。ご縁のあるお困りの方々の手助けをするしかない。
商売を通じて、人を育て、お客様のお困りごとの解決の一助となり、事業発展の結果として仕入先様にも貢献し、雇用と納税で地域に報いる。なんなら病児保育の他にもう一つくらい社会課題の解決に一石を投じる活動もしたい。
これこそが目指すべき道経一体への道。
道遠く、半ばなれど我行かん
朝のオフィスにて
