先日、出張の折に羽田空港の小さな本屋にふらりと立ち寄った。以前もここで面白い本に出会ったのだが、今回も素晴らしい一冊を引き当てた。山口周氏の『コンテキスト・リーダーシップ「最高の上司」と「最悪の上司」は文脈で決まる』だ。
かなりお勧めの本だ。
丸信で次世代の経営陣を目指す人には必ず読んで欲しい。(でもちょっと難しい本かも)
機内でページをめくり始め、あっという間に引き込まれ、深く考えさせられた。今の所、今年読んだ中で最高の1冊かもしれない。私自身の備忘録として、そして丸信でチームを率いる未来のリーダーたちへのメッセージとして、このブログに書き留めておきたい。
そもそも、本書のタイトルにある「コンテキスト・リーダーシップ」とは何か。一言で言えば、「リーダーシップの正体は、リーダー個人のスキルや資質、特定の行動(行為論)ではなく、リーダーと部下、あるいは組織や時代を取り巻く『文脈(コンテキスト)』の相互作用である」という考え方だ。
これまでの多くのリーダーシップ論は「優れたリーダーは○○という行動をとる」というハウツー(行為論)ばかりを語ってきた。しかし本書は、それらをバッサリと切り捨てる。最高の上司か、最悪の上司かを決めるのは、その瞬間の「行動」ではなく、それを取り巻く「文脈」なのだ、と。
「任せる」と「丸投げ」は、行動としては全く同じ
本書が突きつけてくる事実は、経営者や管理職にとって非常に耳の痛いものだ。
例えば、部下に仕事を「任せる」上司と、「丸投げ」する上司。この2つの「行動そのもの」に違いはないという。
全く同じセリフで「この案件任せたよ。君の判断で進めていいから」と仕事を振ったとする。日頃から部下の話を聴き、いざという時は責任を取る姿勢を見せているA課長なら、部下は「期待して任せてくれた!」と奮い立つだろう。しかし、日頃から挨拶もせず、失敗すれば部下のせいにするB課長が言えば、「出た、また丸投げかよ。どうせ失敗したら俺のせいにするんだろう」とネガティブに解釈されてしまう。
つまり、最高の上司か最悪の上司かを決定するのは、その瞬間の「行動」ではない。それまでに積み重なった関係性の歴史や日々の小さなやり取りの記憶、そして信頼度。すなわち「文脈(コンテキスト)」が全てを決めているのだ。リーダーシップとは個人の「資質」や「能力」ではなく、フレンドシップやパートナーシップと同じく「相手との関係性」の中に立ち現れる現象なのである。
6つのリーダーシップスタイルと、30代前半の私の大失敗
本書では、コンサルティング会社のヘイグループの研究による「リーダーシップの6つのスタイル」が紹介されている。
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指示命令型(言った通りにやれ=即座の服従)
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ビジョン型(「なぜ」をわからせる=長期視点の提示)
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関係重視型(まず人、次に仕事=調和の形成)
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民主型(メンバーの参画=情報の吸い上げ)
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率先型(先頭に立つ=模範の提示)
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育成型(長期的な育成=能力の伸長)
最高のリーダーとは、状況(コンテキスト)に応じてこの6つのスタイルを自在に切り替えられる人だそうだ。
しかし、自分の過去を振り返り、未熟だった若き日を思い出した。
業務で成果を上げて上司になった新任リーダーは、最初は概して「指示・命令型」と「率先型」に頼りがちになるという。理由は単純だ。リーダーとしては未熟だが、プレイヤーとしては成熟しているので、「自分でやった方が早い」と考えたり、自分の成功パターンをそのまま押し付けようとするからだ。
これはまさに、私が初めて部下を持った30代前半の頃の痛い経験そのものである。
当時、朝早くから夜遅くまで飛び込み営業でガムシャラに成果を出していた私は、部下に対しても「俺の背中を見て学べ(率先型)」「言われた通りにやってくれ(指示命令型)」というスタイルしか持ち合わせていなかった。
確かに、このやり方で短期的には結果が出た。ただ長くは続かない。孤軍奮闘という言葉がぴったりで部下を動かすことはできなかった。
一般的にこのような「指示・命令型」と「率先型」が長期的に続くとどうなるか。人材育成の停滞、部下の貢献実感の低下、モチベーションの低下、離職率の上昇、予測不能な変化に対応できないイノベーションの停滞を招く。
私も厳しくしたり、優しくしたり、様々な事を試したが全く上手く行かず、行き詰まった。
あの頃の私はリーダーとしての引き出しが圧倒的に足りず、相手を取り巻く「文脈」「ナラティブ(物語)」を全く読めていなかったのだ。信頼関係も希薄だった。
三層の文脈を読み、機が熟すのを待つ(ガースナーとフィオリーナの明暗)
著者は、コンテキストには「ミクロ(個人間の関係)」「メソ(組織のフェーズ)」「マクロ(時代や社会の背景)」の三層があるとし、この文脈を読んで「機が熟す(カイロス)」を見極める重要性を説く。この対比として本書で挙げられている、二人の大物CEOの事例は非常に象徴的だ。
1990年代初頭、巨額の赤字で破滅的な経営危機に陥っていたIBMに、外部からCEOとして迎えられたのがルイス・ガースナーだった。ナビスコ(お菓子会社)の出身ということで「畑違いの男に何ができる」という冷ややかな風潮の中、ガースナーは就任当初、あえて立派なビジョンを一切示さなかった。
彼はまず、出血を止めるべく徹底的なリストラ(指示命令型・率先型)を断行。それと同時に、顧客や社内への徹底的なヒアリングとディスカッションを重ね、次の二つの本質的なインサイト(洞察)に辿り着いた。
① 顧客が求めているのは、コンピューターというモノではなく「ITを通じた経営課題の解決」である。
② 顧客は課題ごとに別々のITベンダーを探し、評価することに多くのリソースを割いており、「ワンストップで安心して任せられるベンダー」のニーズがある。
リストラが功を奏し、黒字転換し「機が熟したタイミング(カイロス)」で初めて、ガースナーは「ITソリューションのサービスプロバイダーを目指す」という鮮烈なビジョンを打ち出した。そしてその後は、自称最高のプロダクトを上から目線で販売していた古い組織文化から、顧客の課題に傾聴し解決策を提供する文化へと大転換させるため、組織文化の醸成や人材育成に全力を挙げ、IBMを奇跡の復活へと導いたのだ。
一方で、対照的な失敗事例が、ヒューレット・パッカード(HP)に外部からCEOとして招聘されたカーリー・フィオリーナである。当時のHPは成長率や革新性が陰りが見えていたとはいえ、一部のプロダクトにおいては世界トップシェアを維持しており、IBMのような差し迫った倒産の危機にはなかった。
しかしフィオリーナは、就任前から華々しく斬新的なビジョンを打ち出した。結果はどうだったか。社員からの「共感の欠如」、危機感のない組織における「危機感の欠如」、そして実績のない外部トップに対する「信頼性の欠如」が重なり、社内との激しい摩擦を生んだ。結局、彼女は何も成し遂げられないまま、退任に追い込まれてしまった。
ビジョンを打ち出すことは、一見、経営者にとって必須の「良いこと」に思える。しかし、それにはタイミングが極めて重要なのだ。組織に「危機感」が醸成されており、かつ、それまでにリーダーが社員から「信頼」されていなければ、どんなに立派なビジョンもただの空念仏、あるいは反発の種になってしまう。
ナラティブ(物語)の統合:やらされる→自ら進んで動くへ
高度経済成長期のように「みんなで物質的に豊かになろう」という社会全体の大きな物語が失われた現代、社員は一人ひとり異なる個人のナラティブ(人生の目的、価値観、物語)を持っている。
優れたリーダーは、部下のそれぞれのナラティブを決して否定せず、尊重しながら、組織全体の大きなナラティブ(会社のビジョンや使命)へと統合していく。この「個人の物語」と「組織の物語」が綺麗に共鳴したとき、部下は「やらされる」のではなく「自ら進んで動く」ようになる。逆に、この共鳴がなければ、どれほど精緻な戦略や高邁なビジョンを掲げても、人の心は1ミリも動かない。
コンテキスト・リーダーシップとは、外部環境(マクロの文脈)を読み解く知性と同時に、内部の人々が抱えるナラティブ(ミクロの文脈)を深く洞察し、それを組織の大きな物語へと編み直す力を兼ね備えることによって、はじめて成立するアートなのだ。
環境変化を成長の機会にするための「基本教養」
また、本書で深く頷かされたのが「環境変化を成長の機会にする」という視点だ。
リーダーとは、変化の波をいち早く読み取り、それに「意味」を与え、組織を動かす存在である。単に外部環境に受動的に適応するのではなく、変化そのものを「文脈の更新」として受け止め、自らの目的、物語、そして構造を能動的に再編集していかなくてはならない。
そこに必要なのは、単なるビジネス上の戦略的洞察力だけではない。社会、文化、歴史、技術といったマクロ・コンテキストの深い「読解力」であると指摘されている。
山口氏は、そのコンテキストを「読む」「編む」ために必要な基本教養(リベラルアーツ)として、以下の7つを挙げている。
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歴史
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哲学
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経済学
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社会学
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心理学
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文学・芸術
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宗教
すべてをここで解説することはできないが、例えば「歴史」が教えてくれるのは、「成功には強い一回性があり、再現できない」という冷徹な事実だ。
過去の偉大なリーダーの同じ政策、同じ戦略、同じリーダーシップスタイルであっても、人口動態や技術水準、国際関係、社会の価値観が変われば、全く違う結果になる。コンテキストから切り離されたリーダーの行為や発言を、表面だけ真似るのは極めて危険なのだ。歴史を学ぶことで、このような「再現不能性」を皮膚感覚として獲得することこそが、リーダーにとって最も重要な学びだという。
また「経済」を学ぶことは、モノや人、会社の価値が「需要と供給の関係」によって決まるという大原則に立ち返ることを意味する。これを理解しているだけでも、「これからの時代、何に価値が生まれ、何の価値が失われるか」を、社会のコンテキストから推測できるようになる。
この需給関係を完璧にコントロールすることで、ダイヤモンド市場から長期にわたり莫大な富を抽出し続けているデ・ビアス社の事例などは、まさにコンテキストを支配した典型だろう。
リーダーは、こうした幅広い教養を通じて、時代の大きなコンテキストを読み解く力を身に付けなければならない。
幅広い教養がなければ「マクロ・コンテキスト(時代や社会の背景)」を読み切ることはできないとの指摘は耳が痛い。
著者が突きつけるリーダーの「あべこべ」
そして、本書の終盤で著者が突きつける「あべこべ」の真実は、すべてのリーダーが深く胸に刻むべきものだ。
「何か組織に問題があるときは、必ずリーダーのマネジメントに問題がある」
往々にして、組織に不満や不祥事、停滞といった問題が現れたとき、リーダーはそれを「組織の問題」と捉えがちだ。そして、組織体制を変更したり、社内ルールを厳しくしたり、文化を改変しようとする。
しかし、これはアプローチが全く「あべこべ」なのだ、と著者はいう。
本来、組織に起きているすべての問題は、リーダー自身の歪んだ世界観、傲慢さ、あるいは無知といった「人格上の問題」が現場にそのまま写し出された「写像」に過ぎない。
つまり、「組織の問題」=「自分のリーダーシップの問題」なのである。(耳が痛い)
リーダーが自らの認識を改め、言動を変え、相手との文脈を整えない限り、いくら仕組みをいじくっても組織が根本から改善することはない。だからこそ、リーダーは学び続けるしかないのだ。
結びに
振り返れば、私自身これまでビジネス書と歴史小説くらいしか読んでこなかったので、教養という意味では随分と偏りがある。しかし、本書を読み終え、もうアラ還という年齢ではあるが、改めて幅広いリベラルアーツを学び直したいという意欲が湧いてきた。
巻末に著者の推薦書が列挙されており、数冊はAmazonに早速注文入れた。
遅すぎるかも、、
中国の古い諺に、このような言葉があるそうだ。
「木を植えるのに最も良い時期は20年前だった。次に良い時期は今日だ」
遅すぎるということはないと信じたい。会社の大きなナラティブを全社員の物語、そして時代の文脈と共鳴させるため、私は今日も、貪欲に学び、自分自身をアップデートし続けるしかないのだ。
朝のオフィスにて
