去年の暮れ、まだ下仁田ねぎの収穫・出荷していた頃。
畑の隅に転がっているモノに目が行き、ん? シカの角・・? と一瞬頭によぎったけれど、すぐに棕櫚 (しゅろ) の木の花の残骸が強風にあおられて飛ばされたのだとわかった。
棕櫚の木の花の残骸と判明したけど、頭のなかでは鹿の角のことを考えていた。


シカの角は自己アピールの象徴だとして、それがポッキリ取れた場合、自信を失うんじゃないかとか考えるのは人間だけで、本人たちは案外、角が取れてサッパリした気分になっているかも知れない (毎年生え変わるのは知っているけど)。

シカの場合、角 (ツノ) だけど、人間の場合は、角 (かど) になり、自分はここ数年 (5~8年)、なるべく角を立てないようにしてきた。


帰農して数年、(正確には帰農して3年目くらいにテレビに出始めて以降5~8年くらいか)、帰国子女のように自分の意見を裏表なく言ったり態度で表したりせいで、あちこちに敵ができ、徐々に田舎の怖さ・難しさを知った。
その後、脳出血・肩の負傷を機に、一日一日を全力で向かうことより ”細く長く” にシフトし、長くとどまるため、なるべく角を立てないように努めている。

かつてホンダの創業者・本田宗一郎は、その著書 (得手に帆あげて) で、能ある鷹は爪を隠すな! 誇示せよ! と言った。
”沈黙は金なり” で沈黙を守るより、自分の主張 (能力) をはっきり表明せよ、自分の個性を十二分に自覚し、表明できてこそ、立派な仕事できると。
自分も ”角は個性” と、田舎でズケズケと生きたけど、うまくいかなかった。
田舎では、宮沢賢治のように 「でくのぼう *1 」 として生きる方が、いいのかもしれない。


ということで、ここ数年、角の取れた雄鹿ように、なるべく角を立てないように生きているが、最近、それが果たして良いのかどうかわからなくなってきている。

*1 ) 雨ニモマケズ ~ 省略 ~ ミンナニデクノボートヨバレ ホメラレモセズ クニモサレズ サウイフモノニ ワタシハナリタイ