文鮮明師のお話の中に、以下のようにあります。

 

「家庭盟誓の3番は、堕落しなかった本然の世界を述べています。本然の世界に戻るのです。赤ん坊が大きくなって後に結婚するこの全ての過程は、夫婦の立場を見出すものであり、父母の立場を見出していくものです。神様と一体となるための立場を見出してく道です。四大心情圏の完成は、人間の完成に向かって行く私の行くべき道です。(天聖経、真の家庭と家庭盟誓より)」

 

家庭盟誓の3番は、「四大心情圏と三大王権と皇族圏を完成する」です。そして前回、家庭次元の霊性において、神様が意図した完成の表現が、四大心情圏と三大王権であると考えられる、と書きました。上記のように、それを文鮮明師も語っています。

 

皇族圏とは、直系の人たちの事ではなく、祝福家庭のことであることも前回書きました。祝福家庭は堕落した世界から復帰された人達であり、「堕落しなかった本然の世界」に生まれた直系の先例に倣って、「本然の世界に戻る」のです。

 

前回、真の父母が重要な理由は堕落した人類に完成に至る先例を立てるからだ、という内容を、文顯進会長が万物の日にお話しされたと書きました。先例を立てる事は自動的ではないので、直系だからと言って、誰にでも従うわけではありませんが、直系でなくては、立てられない先例というのがあります。

 

文顯進会長の下にいて実感しているのは、様々な点においてレベルが違うということです。経歴のような個人の業績のみならず、家庭の模範という面でも、国や世界の指導者という点においても、「他にこんな人はいない」と実感します。

 

その文顯進会長が約一年前に語ったのが、四大心情圏は人間が完成する道であるという事をテーマにした、文鮮明師のお話では掴みにくい内容を含めた、具体性を持ったお話しでした。この文章は「真の父母、真の家庭が立てる先例」がテーマであり、四大心情圏と三大王権が中心テーマではないので、四大心情圏と三大王権に深く入る事はしませんが、直系の方から聞かなければわからない内容でした。

 

統一教会においては、「真の父母」とは崇拝の対象で、「先例」の意味は薄かったのが現実であり、ましてや、「真の家庭」は理解されませんでした。また、韓夫人や文顯進会長の兄弟姉妹においても、先例を立てるという意識は薄かったのではないでしょうか?

 

しかし、人間の霊性が個人の次元から家庭の次元に引き上げられるには、御言と祝福だけでなく、先例が必要です。今の時代において、統一教会の方達には、韓夫人と教会をひたすら信じようとする人もいれば、文鮮明師とその家庭に失望を感じている方達もいます。それは先例が見えないからではないでしょうか?

 

それに対して、文顯進会長の下にいる祝福子女達は、文顯進会長とその家庭に希望を感じ、自分たちもそのようになる努力をしようとしています。特に米国の子女達はそうです。それは、文顯進会長の家庭が米国にあり、先例が見えるからです。

 

文顯進会長の男のお子様達は、皆が米国陸軍士官学校を卒業されました。米国陸軍士官学校は各州から数人しか入れないエリート校で、父母を愛する孝行心から出発して、国を愛する事を実践しています。単純にこの点からだけ言っても、レベルが違うのがわかるのです。さらに、そのお子さん達の信仰を垣間見るチャンスがある時に、霊性の違いもわかります。

 

直系をアベルとし、祝福家庭はカインとして、直系の立てる先例を見て歩むのが本来意図されていたことのはずです。統一教会ではアベル・カインを、組織の上司と部下の関係にすげ替えて、服従だけを強調したので、悲劇が生まれました。しかし、原理講論に書かれている内容は、1)アダムの立場にいるアベルを愛して、神の立場にあるのと同じ立場をとり、2)アダムの立場にいるアベルを仲保として、彼を通じて神の愛を受ける立場をとることにより、自分の位置を守り、3)アダムの立場にいるアベルに従順に屈伏して、彼の主管を受ける立場に立つことによって、主管性を正しく立て、4)自分よりも神の前に近く立っているアベルの相対となる立場をとり、アベルから善のみ言を伝え受けて、善を繁殖する立場に立つ、です。

 

これは「皇族圏」にある祝福家庭の人達が、直系との関係において歩む道であり、直系が示すのは、先例であると理解されます。先例とは、人間の完成への道を示すことです。完成とは、時空を超えたような超人になる事ではなく、神様の創造の意図に従って、個人として、家庭として、神様が願った理想を達成する事です。それは神様の愛と一つになる事であると、文鮮明師は天聖経で以下のように語っています。

 

「人間は、神様の愛の核と一致する立場に立った時、心と体が一体を成すようになり、神様の愛の圏内に心と体を一体化させ、入れば、成熟した人間になります。その時、初めて堕落する前の本然の人間として個人完成が出発するのです。」

 

「真の愛は経験を通じて得られ、体恤を通じて知るようになっています。真の愛は言葉や文字、あるいは一般教育を通じて体得できるものではありません。生活を通じてのみ完全に体得するものです。赤ちゃんとして造られたアダムとエバは成長しながら真の子女の心情、真の兄弟の心情、真の夫婦の心情、真の父母の心情を段階的生活を通じて経験し、体験することによって完成するようになっています。神様の真の愛を全体的に体得する時、初めて創造目的を完成した理想的な人間になるのです。」

 

「神様の愛は統一教会の原理によれば、四位基台の完成という結論になります。だとすれば四位基台の完成とは何でしょうか。父母の愛は子女たちに伝達されて感じるようになっています。四位基台の中心は、父母の愛を中心に子女と一つとなり、男女の愛が一つとなり、最後に神様の愛と一つとなるのが四位基台なのです。」