「真の父母、真の家庭が立てる先例」という題で書いてきました。では、神様の観点からして、真の父母、真の家庭の先例の役割という何なのでしょうか?

 

今日は、真の万物の日で、文顯進会長御夫妻と、お子様達と共にお祝いする日でした。そのお話の中で、真の父母が重要な理由は堕落した人類に完成に至る先例を立てるからだ、という内容がありました。

 

これは、文鮮明師が真の父母に関して比喩した、「メートル原器」に近い表現です。神格化して、宗教団体の崇拝の対象を立てるのが目的ではなく、私たちが、神様が意図した完成に至る先例を立てるのが、真の父母、真の家庭だ、という理解です。

 

文顯進会長の下にいる人達は二世、三世の若い人達が多いので、一層顕著になるのですが、彼らは文顯進会長御夫妻とその家庭を模範として、夫婦となり、理想家庭になろうと努力しています。まさに、先例にならうという事をしています。頭で学ぶのも学習ですが、経験で学ぶのも学習です。

 

真の父母とは全知全能の神様のような存在ではないとわかった時、また文鮮明師の家庭に様々な問題があるとわかった時に、真の父母や真の家庭の重要性を見失う可能性もあり、また、「お父様はそれぞれの人がメシアになれと言い、祝福の権能を与えたのだから」と、「ただお父様を信じれば良い。真の子女は必要ない。」という考えになる可能性もあります。

 

私は経験を通して、文顯進会長がどれほど特別かというのを知りました。もちろん、文顯進会長の経歴は特別なので、能力の面から見ても、特別なのはすぐわかります。会ってから数年は、観点と思考のスピードに付いていく事にすら苦労しました。しかし、特別さは、そんなレベルの事ではなくて、神様との関係のことです。さらに、神様との関係から生じる、愛と権威と秩序です。文顯進会長に対しては、人間よりむしろ動物の方が、即座に反応を示すかもしれません。動物は神学など関係なく、すぐにわかるという事があります。文顯進会長のお子様にも、神様の特別な恩恵が現れるのを知りました。

 

人間は霊的存在なので、私の場合は霊的体験から入り、神学で骨が出来て、経験で肉がついたような感じで、文顯進会長やその御家族がどれほど重要で、自分にとっても必要なのかに関して、疑いがありません。

 

さて、真の父母、真の家庭が立てる先例と、人間の完成という事に戻りますが、まずは完成という事に関してです。歴史上、完成とみなされた宗教的内容は、個人の宗教的修行に関連したものがほとんどで、「悟り」もその一つです。神通力を持つ事に結び付けられることもありました。統一教会でもその傾向があり、文鮮明師は全てを見通し間違いをしない超人と捉えられました。

 

しかし、何が完成かというのは、創造主によって定義されるはずのことです。つまり、神様の創造理想と目的に従って定義されるものです。文鮮明師は、神様の創造目的が神様を中心とした理想家庭であることを明らかにしました。これは、宗教歴史の主流であった個人の次元の霊性から、家庭次元の霊性への大きな飛躍です。人は男性か女性かです。そのように創造された目的を考えれば、家庭に創造の目的があるのは自明です。

 

では、家庭次元の霊性において、神様が意図した完成とは如何なるものなのでしょうか?その表現が、四大心情圏と三大王権であると考えられます。

 

神様の創造目的は家庭であり、祝福家庭は皇族圏の人たちであるという文鮮明師の教えはすでに書きましたが、文鮮明師は以下のように語っています。(天聖教より)

 

「完成した家庭とは、何を中心として築かれるのでしょうか。四大心情圏と三大王権、皇族圏の生活をすることによって初めて家庭理想、神様の創造理想が完成するのです。」

 

「家庭は、どのような家庭でしょうか。神様は、おじいさんの位置です。アダムは、現在の家庭を代表しているのであり、息子、娘は、未来です。神様は、過去の象徴であり、父母は、現在の象徴であり、息子、娘は、未来の象徴です。このような愛の理念を中心として、一つの家庭で四大心情圏と三大王権が展開しなければなりません。この心情が完成すれば、どのようになるでしょうか。神様が地上の表面に姿を現され、家庭においてはおじいさんの位置に立たれ、その家庭を治めて天上天国と地上天国が一つになって完成できるようにされるのです。それで、繁殖した子女たちは、二つの国の相続者として連結されるのです。」

 

他にも、文鮮明師は、人間の完成と家庭という事について、様々に語っています。(天聖教より)

 

「真の愛は経験を通じて得られ、体恤を通じて知るようになっています。真の愛は言葉や文字、あるいは一般教育を通じて体得できるものではありません。生活を通じてのみ完全に体得するものです。赤ちゃんとして造られたアダムとエバは成長しながら真の子女の心情、真の兄弟の心情、真の夫婦の心情、真の父母の心情を段階的生活を通じて経験し、体験することによって完成するようになっています。神様の真の愛を全体的に体得する時、初めて創造目的を完成した理想的な人間になるのです。」

 

「天国はどの様な人達が入るのでしょうか。四大心情圏を完成した愛の実体が入るのです。自分より何千倍も優れた事を願う愛の対象者として、天の国と地の国と未来の三王権を身代わりした中心家庭が私の家庭だという事を知らなければならないのです。これを失ってしまったが故に、復帰された家庭でこの様な概念と、この様な内容を実践して結実させなければならないのです。それを息子、娘を通して繁殖させなければならない責任があるのです。

 この様に本然の道を失ってしまったので、これを完成して帰らなければならないのです。「それが復帰の道であり、再創造の道である事を知らなければ成りません。アーメン!」。これは文総裁の話ではありません。神様が語られたみ言なのです。」

 

では、このような文鮮明師のお話を現実のものとして実現するのは、私たち祝福家庭だけでできるでしょうか?できるとは思いません。私達には、出発点を正しくする、神様からの恩恵が必要であり、教えと先例が必要です。それが、出発に相当するのが祝福であり、教えと先例を受けるのは、真の父母と真の家庭からです。

 

(続く)