米国のF P A会員の方達に、2月16日のお話と4月9日のお話を解説しながら、私の思うところを伝える集いを持ちましたが、そこで話した事を少し書いておきたく思います。

 

話の80%は2月16日のスピーチに関するものでしたが、20%は先駆けて祝福された人たちの使命に関するものでした。これは4月9日のお話との関連で話しました。

 

4月9日、最初の1時間くらいは、統一教会で起きた過ちを説明するビデオに関する事でした。いずれ、実際のビデオになった時に見れば、その内容を知ることができるでしょうが、この話をF P A会員が聞く時の反応としてありえるのは、「もう分かっている」かもしれません。

 

しかし、私は、「もう分かっている」とは思っておらず、「また繰り返すかもしれない」と思っています。文顯進会長自身も、「どの世代も同じ過ちを繰り返した」と語りますが、現在と将来の人達が同じ過ちを繰り返さない保証などありません。

 

統一教会で起きた過ちを、私の経験したところで簡単に言うのなら、それは人々が「神様を中心としていなかった」という事です。昨日書いたことにも関連しているのですが、人間は目に見えないものより、見えるものを求める傾向があります。神格化された超人的メシアも目に見える存在であり、教会組織も、お金も地位も賞賛も、目に見えるものです。全てを見通すかのような超人は信仰の対象となりやすく、大きな教会も建物もお金も有名な人の賛同も、人を惹きつけるものです。たとえ神様がそこにいなくても、人はそうしたものに惹きつけられます。

 

モーセに率いられたユダヤ民族も、金の子牛を作って崇拝したのですが、これは神様の観点で神様の願いに沿ってされたことではありませんでした。神様の観点、神様の願いが表現されたものは、モーセが受けた十戒でした。人間の目には見えない神様が、人間に対して、期待と希望を込めた言葉でした。神様は、人間を共同創造者として、創造目的を成就する事を諦めていないからです。

 

創造目的は、三大祝福を成就して達成されるのであり、それはつまり、神様を中心とした理想家庭を意味します。ゆえに、摂理の最終段階に至れば、その神様の創造目的が明らかにされ、それがいかに成就されるのかが教えられて、実際に神様の理想家庭をなす段階になります。その出発点が、復帰されたアダムであり、アダムは堕落圏から妻を復帰します。神様の家庭の出発点は、そのアダムのつくる真の家庭で、直系の子女はアベルの子女です。

 

私達、初期に復帰された人たちは、堕落圏から復帰されたカインの子女です。ゆえに、神様を中心とし、神様の願いを中心とするのなら、復帰されたアダムの家庭を守り、一つになるのが、カインの子女に神様が期待された事です。このような内容は、神様を信じなければ理解できないことであり、私たちは、普通は理解できない事を教えられた、特別な人たちでした。

 

そして私たちは、第二アダムのイエス様の時代に、洗礼ヨハネがカインとして失敗した事をまず学びました。選ばれたキリスト教のリーダーが第三アダムに対してカインの失敗を繰り返した事を学びました。統一教会に入った人たちは、「私は洗礼ヨハネのような失敗はしない」と思ったはずです。しかし、文鮮明師が第四アダムという言葉を語るようになった頃に、統一教会のリーダー達が同じ失敗をしてしまったというは、もう歴史的事実です。

 

では、もう過ちは繰り返されないのでしょうか?私は、そんなに簡単ではない、と思っています。繰り返さない鍵は、神様を中心とした私たちになることにある、と思っています。文顯進会長が、4つの基本的質問の第一番目に、「摂理の中心は誰ですか」という質問をされて、答えは、「神様」であり、「真の父母様」ではないのは、すでにこれを読んでいる方達ならご存知でしょう。

 

4月9日のお話には、神様を中心とする、という内容が、様々に語られました。私はそれを聴きながら、様々に思うところがありました。

 

(続く)