「鶴子総裁の前通訳、横領で告訴される(リンク)」というのは、ドアノブ権力(ドアの番人のような人の持つ権力)に関するものです。

 

ドアノブ権力などというものが大した問題ではないかのように受け取られる可能性もありますが、似ている問題が、水原氏の不正が明るみに出ました。水原氏は、大谷選手に対するドアの番人のような立場にいました。通訳として、大谷選手とのの意思疎通が水原氏を通してなされていたのを利用して、不正をしたのが明らかになっています。

 

文鮮明師に対して側近がふるっていたドアノブ権力に関して、どれほど統一教会員が知っているかわかりませんが、文鮮明師の周りでのドアノブ権力の害は深刻でした。息子である文顯進会長が会おうとしても会えないとか、いざ会えるとなったら嘘を注ぎ込んで文鮮明師を怒らせてから会うようにさせるとか、様々な工作がなされました。親子とは言っても、文鮮明師の第一言語は韓国語、文顯進会長は英語でしたから、意思疎通も簡単ではありませんでした。

 

さらに文鮮明師は、自分の子より、罪の世界から来た他人を愛する事を人生哲学にしており、ドアノブ権力を持っていたのは、「罪の世界から来た他人」でした。また、文鮮明師は、自分の子より、その人たちをもっと愛するなら、その「罪の世界から来た他人」が自分の子を愛し支えるようになると信じていました。

 

水原通訳の違法賭博のとばっちりが大谷選手に行きそうになったのは、水原氏の言動が大谷選手の指示と承認の下で起きていたかのように受け取られたのが大きな要因です。

 

文鮮明師の場合も、側近を通して伝えられる文鮮明師の言動や、側近により演出された集会での文鮮明師の言動が、文鮮明師自身が単独で判断した上で行った言動だとして受け取られました。そして、文鮮明師は全てを見通し間違いをしないと信じられていました。

 

もし間違いをしないなら、文鮮明師が判断や指示を変更する事ないはずです。しかし、文鮮明師は原理や摂理に関するお話は一貫していたものの、統一教会という組織運営から生まれた問題に対する判断は一貫していませんでした。息子である文顯進会長に対する判断は、統一教会のリーダーや側近がする報告に大きく影響されましたから、判断が一貫しませんでした。

 

しかし、側近やリーダー達は、文鮮明師が文顯進会長を批判したり否定したりする言葉を選んで、教会員に伝え、教会員の中に、文顯進会長に対する怒りや不信を植え付けました。

 

統一教会では、ドアノブ権力に関する認識がとても弱かったのですが、今でもそうではないでしょうか?

 

ドアノブ権力が渦巻いた教会で、「お父様は全てを見通し間違いをしない」と信じていたら、その信仰は裏切られます。なぜなら、真実でもなく、神様が本然のアダムに与えた能力でもないからです。

 

しかし、間違った事を信じていたという気づきから出発して、神様が復帰されたアダムを通して何をしようとして来たのかと、真理を求めるならば、きっと信仰の道が見つかるのではないでしょうか?