「もしあなたの兄弟姉妹たちが沈みゆく船に乗っているなら、あなたは彼らを船から救い出そうと最善を尽くさないでしょうか?」

 

これは、ハワード・セルフ氏の手紙の一節です。

 

もう40年近く前の頃に仲の良かった友人が、他界しました。分裂以降、一度だけ会うチャンスもありましたが、私が言った事は通じなかったのだろうと思います。

 

文顯進会長の事を知った人たちというのは、たとえどんなに統一教会のリーダー達が、文顯進会長の事を悪く言ったとしても、「そんな人ではない」と跳ね除ける土台ができる場合が多く、恵まれています。

 

そのような機会が無かった場合には、統一教会のリーダー達の言うことを信じてしまう事も多かった事でしょう。たとえ文顯進会長の事を知った後でも、「上の方の問題は上で片付けてくれ」となったり、「関わり合いになりたくない」となったり、家庭の事情で、問題に真剣に向き合うのが難しかった場合も、あるはずです。そう思うと、悲しみを感じるのは避ける事ができません。

 

しかし、統一運動の分裂の問題は、もっと根が深いものでした。

 

自己犠牲より難しいのが自己否定です。堕落性を脱ぐのは難しい事です。

 

文顯進会長を情熱的に攻撃した人達の中心には、文顯進会長の事を知るチャンスがあった人達がいるのが目立ちます。そのような人達の場合、お金の問題に引っかかったり、左遷されたりしたことに対して、恨みを持って反逆の狼煙をあげた場合があります。その上にいたリーダー達は、彼らを文顯進会長攻撃に用いました。

 

つまりは、アベル・カイン問題に大きく引っかかりました。人々の心が、アベルと一つになることで分別されなければならなかったのに、カインの怒りや恨みや自尊心が勝ってしまいました。そして、アベルである文顯進会長を、カインである祝福家庭のリーダー達が潰そうとしたのが、統一運動分裂の根本にあります。つまりは、エデンの園でのカインの過ちの繰り返しです。

 

また統一教会には、組織の上司に従うのがアベル・カインの意味だと思い、単純に上司の言う事と指示に従った人達も目立ちました。韓国の儒教の影響でしょうが、統一教会には目上に間違っていても従う風潮がありました。

 

1999年、大韓航空機の事故がありましたが、副操縦士は、操縦士の間違いを看過しました。そのような行動の原因は、操縦士と副操縦士の過剰な上下関係の意識にありました。

 

文顯進会長は、統一教会における儒教の悪影響として、大韓航空機の事故を例にあげます。統一教会の中に、真実や真理を無視してでも、目上に従う風潮があったからです。そのような上下関係の有様は、本当のアベル・カインではありません。

 

そして、組織の上司との関係は、本当の摂理的アベル・カインではありません。それは練習のようなものです。本当の摂理的アベル・カインは、真の子女と祝福家庭の関係です。それが、統一教会では無視されました。

 

私は先日、文顯進会長に報告する時に、「私はカイン圏の代表です」と言ってから話をしました。私は自分の中の堕落性を知っています。文顯進会長に出会ってから7年くらいは、一体化できない苦しみを感じましたから、自分の中に湧き起こる弱さを自覚しています。

 

つまり、問題解決の鍵は、自分の中にあるのがわかります。そして、自分自身が、努力をして、御言を求める事が必要であり、また、ハワード・セルフ氏のように、兄弟姉妹を船から救うため最善を尽くす人を求める必要があります。

 

なぜなら、問題は巨大な罪となってしまい、原罪が自分だけで解決できないように、分裂から生まれた罪は、自分だけで清算できないようになってしまっているからです。赦す権能を持った人は、文顯進会長だけです。そして、文顯進会長から赦しを受けるのは、一足飛びに行く事はできません。ステップがあります。

 

文鮮明師のお話からです

 

「どうして天は、アダム家庭に対するとき限りなく悲しい心情で対し、アベルに対する心とカインに対する心に、なぜ差をつけられたのでしょうか。本心からわき出るその心情においては、皆が息子、娘の立場でしたが、差別する心情をもって接しなければならないのが天の事情でした。そのように悲しい立場にいらっしゃる天ですが、「アベルの祭物は受けて、自分の祭物は受けなかった」と言って、カインがアベルを打ち殺したことは、神様を打ったことよりも、もっと悔しい事実でした。

 

 こうして人類の歴史は、神様の心情と因縁を結ぶことができないまま始まりました。神様の真の心情の前に反旗を翻して、裏切りと恨みと不満を吐露し始めたことが、カインの歴史なのです。そうして、神様の心情に対した歴史は途絶え、裏切りの歴史が代々にわたって引き継がれた世界が、今日のこの天地だというのです。

 

 裏切りによって堕落の心情を造成してきたカインの歴史を、私たちは限りなく嘆かずにはいられません。神様と父子の因縁を結び、神様の心情の歴史が展開しなければならないのにそのようにできず、裏切りの心情、反逆の心情が代々続いてきたがゆえに、人類の歴史路程において神様の心情の歴史が現れなかったのです。神様が愛することのできる息子、娘が地上に現れなかったのです。

 

 私たちは恨まなくてはなりません。自分の体の中で脈打つ心臓の鼓動を聞くとき、私たちは恨まなければならないのです。その脈拍は、どこから出発してきたのでしょうか。カインの心臓からです。カインの心臓の音が、今私たちの体の中で鳴り響いています。さらにはカインの血と因縁をもち、善とは相反する立場に置かれて、サタンの血が走り巡っている自分であるというのです。 (1960年1月17日)」