今の時は、世界的にとても危険な時を迎えています。警告を発する人は、例えば、米国大手銀行のチェイスのC E Oです。ロシアのウクライナ侵攻とハマスの攻撃を例にあげながら、「今はこの数十年で最も危険な時であるかもしれない」と警告しました。

 

文鮮明師は、平和メッセージ13で「共産主義の仮面を脱いだといいますが、今も 中国やロシアのような周辺の好戦的な強大国は、虎視眈々と力のない小さな島嶼国をねらっていま す。」と警告していました。

 

文鮮明師は、勝共運動の大きな基盤を展開しましたが、自分達の宗教団体の発展のためのものであったならば、そのような基盤となる祝福は受けなかったはずです。文鮮明師は共産主義に関して、他の人が見抜かない事を見抜き、解決策を提示しました。

 

世界の情勢と混乱の要因に変化はありますが、文顯進会長は、文鮮明師のしていた事を更に発展させています。「神様の下の一家族:国家変革と平和文明へのビジョン」というテーマで開催されたN G Oのコンベンションにおいて、先週、文顯進会長は、世界が今、危機の中にある事を話しながら、現状と未来へのビジョンを力強く語りました。(残念ながらまだ文章化されていませんが、関心のある方は、webサイトに登録して、Main Plenaryの中にスピーチを探すことができます。リンク

 

統一教会では、イベントはVIPを集めることに関心が集まり、多額のお金を払ってもVIPに参加してもらいました。トランプ大統領には、250万ドル払ったことが知られています。それを通して教会を宣伝しようとした事がメディアでも報道されています。さらに、独生女信仰のためのイベントにもなっていて、VIPが来るほど韓総裁は喜び、統一教会のリーダーは地位を得ました。もしできなければ、人事が待っていました。

 

しかし、本来、そのようなイベントは、世界の問題を解決するためにあります。解決するには、問題を定義し、解決策を示し、ビジョンによって国境や宗教の壁を超えて、人々が動く事が必要です。それが、文顯進会長の実践している事です。VIPに対する謝礼金も払いません。

 

どんな宗教を信じていても、どんな仕事をしていても、どこの国に住んでいても、一つのビジョンに向けて人々が動くのです。これができる人は、人類の親である神様から祝福された人です。

 

今回のスピーチはまだ引用できないので、内容について伝えるのは難しいのですが、2008年に文鮮明師に捧げた、文顯進会長の手紙の中から、超宗教運動について語っている部分を引用します。

 

この超宗教運動は、「宗教の時代が終わった」と文鮮明師が宣言し、統一教会の看板を下ろした事と連結しています。文顯進会長はそれを本当に実行しようとし、統一教会のリーダー達は、それを阻止して体制維持をしようとしました。

 

2023年の現在と、処している状況は違いますが、目指す超宗教運動において、2008年も今も、文顯進会長は変わりありません。

 

--------------------------------------

文顯進会長の手紙から

 

「One Family under God」のビジョンを中心としたグローバル超宗教運動

 

お父様、お父様は世界キリスト教統一神霊協会を最初に創設された時、夢を持っておられました。その名称にも現れているように、お父様のメッセージは単に超教派的であるだけでなく、超宗教的でもありました。大部分の宗教指導者が、自分の教派と信仰伝統の成長にだけ焦点をおいて、超宗教的なメッセージに対しては関心すら持っていなかった時、お父様は 「絶対価値」を中心としてすべての宗教人が結集することを、一人訴えて来られました。お父様はいつもその召命の前に忠実であられ、ついに世の中がそれを認定し従うようになって来たのです。

 

お父様の超宗教メッセージは、最近になって超宗教運動に便乗した人たちとは違うものでした。彼らは各々の宗教儀式を共に行い、相互間の親睦を企図しながら宗教間の和解と平和的共存の必要性を主唱しています。しかし、このような接近方式は、たとえ表面的には平和的な共存をなしたように見えるかもしれませんが、一時しのぎの解決策に過ぎません。何故なら今日、それぞれの宗教を規定している神学と伝統が、各宗教の霊的な教育の主要源泉になっているためです。ですからたとえ彼らが共に儀式を行ったとしても、彼らは各自それぞれの宗教伝統に従って、人を分離し派閥化する、彼らだけの信条を未だ信じているのです。このような信条は大部分、各宗教の創始者の死後、神学と宗教伝統の形式として出現したものであり、多くの場合、創始者の本来のメッセージとは違っているのです。

 

それとお父様の接近方式は非常に違います。お互いに異なる神学と宗教伝統に焦点を合わせるのではなく、絶対的かつ普遍的な神様の原理に焦点を置いておられます。神様は偉大なすべての宗教と共におられ、その結果、DNAのような神様の指紋が、すべての偉大な宗教伝統の中に内在しているということを、お父様は知っておられました。共通の天の伝統から導き出された「共通の原理」に焦点を置くことが、お父様の超宗教ビジョンの根本的な接近方式であり、それが昨年一年間、ILCを通して大きな成功をもたらしました。

 

お父様が、UN内に超宗教議会を設立するための提案書を出された時、UNを通してこのような超宗教的ビジョンを実現することを期待されたということを私は知っていました。しかし、UNは、神様を信じる世界人類を代表できないまま、無神論的な機構になってしまい、この大胆な主張に対して十分に支援できませんでした。しかし、神様は考えられない方法でみ旨を成就されます。UPFの設立と共に、私たちの統一運動は、グローバルな超宗教運動を率いることができる機関をもつようになりました。宗教間の潜在的葛藤に根ざした現在のグローバル危機の中で、UPFがワン・ファミリー・アンダー・ゴッドのグローバルな超宗教運動を主導するようになれば、超宗教に関するUPFの独特な観点に、全世界が注目するようになるでしょう。

 

私たちがこのような摂理的方向に動けば、大変な可能性がもたらされるでしょう。勿論、全てのことが順調に進行することはないと思います。天一国禧年は神様の夢を相続し結実に向かって跳躍すべき時ですが、上で指摘した問題が、この運動の勢いを妨害しています。もし、私たちが多くの教会の中の一つとして残るのであれば、どうして私たちが「共通の原理」に基礎を置いた新しい超宗教運動の指導者になることができるでしょうか。そして、更に根本的には、もしこのような「共通の原理」が私達の統一原理だとすれば、どうして統一原理が一つの宗教だけの神学になることができるでしょうか。原理は神学の枠組みを超え、どんな宗教人でも彼らの根本価値観として所有できる、絶対的かつ普遍的な天の真理にならなければなりません。

 

私たちの運動が、この時代の祝福を現実化し、ワン・ファミリー・アンダー・ゴッド建設という夢を実現するためには、お父様が、人類を分離させるすべての障壁、特に宗教的な障壁を「撤廃」するべきだといつも教えておられるように、先ず私たちが、模範的先例を見せなければなりません。神様と真の父母様の本然の目的を実現していると考えながら、統一教会という組織に執着するとしたら、それは理解できないことです。このような時に合わせて、私たちは祝福家庭の文化を整備すると同時に、統一運動全般を再び整備しなければなりません。私達は統一教会という組織を守り育てようとするよりも、宗教の障壁、特に私たち自身の壁を撤廃し、ワン・ファミリー・アンダー・ゴッドの平和ビジョンを中心にした、全世界の宗教を一つにする真の超宗教運動へと跳躍しなければなりません。私たちがそのように行動すれば、自然と世の中は、真の父母様に対し、宗教を超越し神様と人類の夢をなして行かれる方として認識するようになるでしょう。それだけでなく、原理が一つの教団の神学ではなく神様から啓示されたものであり、全ての宗教の根本的教えと通じる普遍的真理として受け入れられるようになるでしょう。

 

ご父母様の超宗教運動は、宗教的に多元的国家である韓国で、最後の花を咲かせなければなりません。このようなグローバル超宗教運動の力は、韓半島の多くの宗教を一つにする基礎になるばかりでなく、韓国が北韓と統一に向かって進んでいく時、いかなる無神論的な影響からも保護することができる力になるでしょう。私たちが自らメガチャーチ(大型教会)の基盤を立てて、韓国のキリスト教と競争するという考えを持つとすれば、それは子供のような近視眼的な意識です。韓国のキリスト教人も、結局は私たちが消化しなければなりません。私がアメリカでメガ・チャーチの指導者に会っている理由は 、私自身がメガ・チャーチを作るということにあるのではなく、イエス様と全ての宗教の創始者の使命にアラインした、より大きなビジョンに彼らを率いて行こうとするところにあります。この夢は人間が作った組織や制度ではなく、神様にその根をおいているために、いかなる教会よりも更に大きく強力な力を持っています。

 

万一、韓国キリスト教が、偏狭で利己的な立場を取り続ければ、より大きな信仰共同体から孤立し、内部から崩壊していくでしょう。韓国キリスト教人も結局、神様の摂理に寄与するようにしなければなりません。このために私たちの全ての運動は、何よりも先ず、「教会」という殻を脱ぐことで、宗教の障壁を壊さなければなりません。そして、環太平洋時代と天一国時代の基盤を築きながら、より拡大した超宗教運動を主導し、世界平和建設とワン・ファミリー・アンダー・ゴッドの夢を実現しなければなりません。