男鹿半島を行く ~入道崎から五社堂~ | Pacific231のブログ -under construction-

Pacific231のブログ -under construction-

O, Mensch! Gib Acht! Was spricht die tiefe Mitternacht?

しばらくブログを書く気にならず、読み専に徹していたが、保守を兼ねて久々の更新。
3週間も前のことで今さら感漂いまくりなのだが・・・

6月3日、どうしても見たい場所があってドライブに出かけた。
目的地は一つだが、前座(笑)として二つ三つ立ち寄り先を追加。どうせグルっと一周するのだから。

男鹿半島北浦付近。海を見るのも久しぶり。


入道崎。数えきれないほど来ているオキニスポット。
まだら模様の灯台は男鹿のシンボル。下のモニュメントは北緯40度ライン。



「八望台」という名の展望所から見下ろす戸賀湾ニノ目潟

この反対側に一ノ目潟、少し離れて三ノ目潟がある。
いずれも火山活動でできたマール(爆裂火口)。戸賀湾自体も爆裂火口が海とつながったものとされ、「四ノ目潟」の異名がある。
(展望台から下を見た途端クラッと眩暈がして、思わず手摺りに摑まったのは内緒です)

男鹿水族館を素通りし、ここから大桟橋を通って半島の南側へ回る。

かつては有料道路だったこの道路、断崖絶壁を縫うように走るので、私は苦手。高所恐怖症だけは如何ともし難い。クラクラ目が回るので写真はナシであるw


ここまでが前座で、最後が本命の目的地。「赤神神社五社堂」である。
ここに来るのは50年ぶりくらいになる。
小6か中1くらいだったろうか、ドライブ好きだった祖父に連れられて、弟と従弟と三人で登って以来だ。



「登って」と書いたが、五社堂にたどり着くには長い長い石段をひたすら登らなければならない。
「上る」でも「昇る」でもなく、まさに「登る」と言うがふさわしい難所であって、50年前は身軽な子供だったから何とかなったが、正直今回はたどり着ける自信がなかった。



石段は一説によると999段あるという。

成形されないほぼ自然のままの石なので、歩きにくいこと甚だしい。数十メートル登ったあたりで早くも息が切れ、眩暈がし始める。
ヨワイ60歳を過ぎてはさすがにもう無理、よほど引き返そうかと思ったほどだ。
車からペットボトルのスポーツドリンクを持ってきていたのが幸いだった。これがなかったら断念していたかもしれない。



ほとんど手をつくように、休み休みしつつも何かに後押しされるように登る。
特に足首には気をつけた。こんな所で捻挫でもした日には救難隊を呼ばなくてはならないw




はるか向こうに奥の鳥居が見えてきた。
その少し手前に「姿見の井戸」なるものがある。
モノの本によると、これを覗き込んで自身の姿が映ればいいが、「井水に姿を写し見えざれば、三年の中に没す」(!)らしい。
私は覗き込んだりはしませんでしたw



やっとのことで目的地、五社堂に到着。
横に長いので正面からだとフレームに収まらない。三つしかないように見えるがちゃんと五つあります。



50年前の記憶はほとんどなく、初見同様。素晴らしい建築だ。
彩色を施さない白木の風合が独特の美しさを醸している。国の重要文化財である。

「正面入母屋造、背面切妻造の社殿が5棟、横一列に並ぶ。向かって右から三の宮堂、客人権現堂(まろうどごんげんどう)、赤神権現堂(中央堂)、八王子堂、十禅師堂と称する。1710年(宝永7年)の建立である。」 (Wikipedia)

 

以下、連続写真で・・・。





 




この日の夜から丸三日ばかり、両脚、太腿部の筋肉痛に見舞われ往生した。
当然といえば当然で、寧ろ無事に目的を果たせたのは予想外だった(絶対無理だと思ってました・・・)。

下に降りてから、なぜかふと50年前の祖父の言葉を思い出した。
(……俺の足ではもう無理だから、お前たち三人で登ってきなさい。一度は見ておくもんだ……)

自分ももうすぐあの頃の祖父と同じ年配になる。背中を押してくれてありがとうお祖父さん。