言語不明瞭 | Kono Mama no Uta.

 

 

埼玉戸田市の、道満グリーンパークで開催されたアートむすび市に

参加してきました。

 

河川敷近く、空が広く見渡せるとても気持ちのいい大きな公園。

お天気も暑すぎず寒すぎずでちょうど良かった。

人前でマイク通して即興演奏して歌うの、去年からはじまって、4回目かなあ。

 

 

いつも、なんでここにいるのかなあ?って不思議なままやっている。

全部呼んでもらうままに、深く考えずにあ、はい。ってやってるんだけど、

結局それが昔から、こんなことができたらいいな、って思ったことのミックスで
現実化してるのに後から気づく。

 

 

学生のときエリックサティの家具の音楽を知って、

風景として溶け込める音楽っていいなあって思った。

ジョンケージの自然音や雑音もすべて音楽っていう考え方も、

従来の音楽に対するアンチテーゼとか前衛っていう見方ではなくて、

わたしにとってはごく自然で自分の生理に叶ったものだった。

 

 

でもあらゆるジャンルの音楽にもいちいちうっとりしてしまって

声域も声の出し方も気にせずに

男の人の野太い歌歌ったり声楽習ってみたり

民族音楽の独特のこぶし回しに惚れ込んだり、

ひとりディズニーミュージカルごっこしてみたり、

やばい英語でハードコアラップ吐き捨ててみたり、

わたしは一体なにがしたいのか分からんまま、分かろうとも思わんまま、

努力も継続もせず、ただ歌いたいときに歌って

忘れてるときは長い間忘れてた。

 

そうしたら、なぜか周りからいただいたりして不思議な楽器が家に集まってきた。

 

 

それも使い方もきちんと習わないまま好きにやっていたら

そんな自分も楽器もちゃんと活かしてくれるKENYAさんと会えて、気づいたら

ひとさまの前に出てた。

 

 

たったひとつしか持ってないクリスタルボウルの音に

ギターのチューニングをあわせてもらって

見ている人にもあわせて声を出してもらいながら

コードが展開していって、その場その場でメロディが生まれて波ができて、ひいてく。

子どもが走り回っていたり、お店の人が談笑していたり、

誰かの吹いたシャボン玉がふわふわ浮いていたり、木の枝が風に揺れてる中で。

 

 

みんな聞いて!っていうより、

みんなそこで好きにしてて!って感じ。

だってわたしも好きにしてて、そういう場所がわたし好きねん、みたいな。

 

 

声もそのときその場所によって地声だったり裏声だったり、

なんやろなこれ?みたいな

出し方だったり、自分でもよくわからないけど勝手に引き出されるから自分のことがおもろい。

 

 

いつもはじめてで、いつもわからなくて、楽しい。

音楽に限らずだいたいのことがわたし、いつもそう。

急にぶっつけ本番になって、しかもだいたい前例がないし、人と同じにできないし、

各方面の専門の先生から怒られそうなことばかりやっているし、

まったくこなれてもいない。

 

 

でもいつも、ああ、よかったなあ。なんかわからんけど楽しかった。って思う。

いつからか、ビギナーズラックが連続しているような気がする。

で、ラックがでかすぎて感覚があふれておうちに帰ったらしばらくほうけている。

すてきなひとがいっぱいいたなあ、なんかきらきらしとってきれいやったなあ、

と後からびっくりしてる。

 

 

 

 

ああたのしかった、みなさんありがとうございました。

 

 

写真は、Gypsy Podさん。たらいやパイプなど身近なものを使った

手作り楽器も出展してはった。色んな民族音楽のスタンダードを聴かせてくれたよ。

 

 

あきのかなこさんのポストカードも無事買えて、お話できてほくほくやったです。

 

 

お空の下でお空みたいに突き抜けたソロを弾いて聴かせてくれた真理さん、

帰りの車の中でオリジナルの曲をかけてくれて、目を瞑って聞いていたら

感覚が刺激されていろんな映像が浮かんで、気持ちよくてまた意識がどこかに行ってしまった。

CDも出しはるそうで、ライブももうすぐで、楽しみだよ。

 

 

息子くんがよく、笑いすぎると笑いが体で受け止めきれなくて

倒れて床をのたうち回ってへんになってるんやけど、

わたしもよく、まわりのひとのきれいなものが自分の中にいっぱいいっぱいで

外見はぼーっとしながらも

身に余る光栄ひびいて鳴りやまずみたいな状態でへんになるときがあって、

それはときに内側に潜む影をも引き出したりして、こころもからだも感覚も稼働するので

ハードっちゃハード。

 

 

最近そんなのばっかりで、見るひと見るひときれいで、ずっと自分がへん。

 

悲しいところもどうしようもないところも含みながらも、

やっぱりひとというものはきれいだ。と思えるようになったのはいつからだったか、

そのころから生きてることが穏やかなようで、すごくダイナミックになってきた気がする。

 

 

人から見れば取るに足らないようなことであっても、

無防備にしあわせに晒され続けようと決めたわたしにとっては毎日がいろんな表情で、

とっても濃い。