嵐山へ | りうりー的房間

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個人的、記録的、日記的、な。

大阪から電車で1時間少し、殿と嵐山を訪ねました。
時折小雨舞う曇天で、寒い寒い日。
嵐山にはまあ、似合いの天気かな、と。

私は高校の修学旅行以来です。
何度も京都には来ていますが、足を延ばす余裕がなくて。

阪急嵐山駅から中国人旅行客で賑わう渡月橋を抜け、天龍寺へ。

残念ながら龍の図は拝観できない期間でしたので、付近の塔柱を観ながらすぐ野宮神社からの常寂光寺へ。



落葉し、見所のない寒々とした姿がまた雰囲気があります。
一眼レフで写真を撮る中国人女性に話し掛けました。
東京に住む娘さんを訪ね、二人で京都観光に来たそう。
富士山の近くに住んでいる、と言うと、この後富士山に行くとのこと。
日本を好きになりました、と言ってくれて嬉しかった。
楽しい旅行を、と別れました。
中国語を褒めてもらいましたが、今が人生で一番話せるかも、私。



苔が好きな殿が喜んだ祇王寺。
平家物語の女性の悲しみには興味がないようですが、苔に興奮していました。

ここまで来ると、中国人旅行者は全く見かけません。

年末でもあり、旅行者自体が少なくて、お土産屋さんや喫茶店ものれんを下ろしています。



静かな静かな化野念仏寺へ。
野辺送りの地であるこの寺に、小雪が似合う。
ここには、私のお腹に束の間休んだ卵さん2つと、友人の心の奥に留めている命の分のお参りに来たのでした。
謝罪とともに。
密かに。
長い時間をかけて、頭を垂れました。




命はどこから来てどこへ行くのだろう。
「魂は旅をするのよ」
と仏教に寄り添う英俪は言っていた。
私たちが生きるこの世も旅の一部だ、と。

積まれた石に、「旅」の平安を祈りました。
私一人。

自分の命には執着はないけれど、仏様は信じています。
存在を、というよりその宗教性とそれが持つ確かな力を。
人の心を慰め得る。
歳を重ねると慰めてくれるものが必要となることを、最近わかってきたのでした。
祈ることで、自分の中の何かが治まる。
背負っているものを少し分かち置くことができる。

誰にも言わないけど。
言える人も、共感も求めていないし。


嵐山を行き先に選んで良かった。
心が静かになった一日でした。