大阪から電車で1時間少し、殿と嵐山を訪ねました。
時折小雨舞う曇天で、寒い寒い日。
嵐山にはまあ、似合いの天気かな、と。
私は高校の修学旅行以来です。
何度も京都には来ていますが、足を延ばす余裕がなくて。
阪急嵐山駅から中国人旅行客で賑わう渡月橋を抜け、天龍寺へ。
残念ながら龍の図は拝観できない期間でしたので、付近の塔柱を観ながらすぐ野宮神社からの常寂光寺へ。
落葉し、見所のない寒々とした姿がまた雰囲気があります。
一眼レフで写真を撮る中国人女性に話し掛けました。
東京に住む娘さんを訪ね、二人で京都観光に来たそう。
富士山の近くに住んでいる、と言うと、この後富士山に行くとのこと。
日本を好きになりました、と言ってくれて嬉しかった。
楽しい旅行を、と別れました。
中国語を褒めてもらいましたが、今が人生で一番話せるかも、私。
命はどこから来てどこへ行くのだろう。
「魂は旅をするのよ」
と仏教に寄り添う英俪は言っていた。
私たちが生きるこの世も旅の一部だ、と。
積まれた石に、「旅」の平安を祈りました。
私一人。
自分の命には執着はないけれど、仏様は信じています。
存在を、というよりその宗教性とそれが持つ確かな力を。
人の心を慰め得る。
歳を重ねると慰めてくれるものが必要となることを、最近わかってきたのでした。
祈ることで、自分の中の何かが治まる。
背負っているものを少し分かち置くことができる。
誰にも言わないけど。
言える人も、共感も求めていないし。
嵐山を行き先に選んで良かった。
心が静かになった一日でした。