殿のおかげで悲しいことを考える暇もなく、3時間半で到着。
「おばあちゃん、ねんねしてるのね。お口がピンクで可愛いね。」
姪っ子ちゃんの言葉どおり、
小さくなったおばあちゃんは、
美人の評判そのままに、本当に眠っているようでした。
通夜も葬儀も、母方の従兄弟たちが遠方から参列し、笑顔が絶えないお別れとなりました。
おばあちゃんが目を覚ますと思っている姪っ子ちゃんの無邪気な振る舞いに、
皆、随分慰められました。
家族中一人残されたママも、きっと。
本当はつけないアクセサリーですが、
結婚指輪を外して亡くなった叔母の形見の指輪をつけました。
先に逝ってしまった叔母が、
おばあちゃんを天国に導いてくれるはず。
通夜も葬儀も涙が止まらなかった私は、
姪っ子ちゃんに、
「なみだがたくさんなの?」
と小さな手で頬を拭われました。
ママにとって姪っ子ちゃんがそうであるように、私はおばあちゃんの初孫で、
いつもいつも優しくしてくれました。
お着物を魔法のように手早く着ること。
歌を教えてくれたこと。
オルガンを弾いて歌ったこと。
私用に買ってくれたキャンディキャンディのマグカップに牛乳を注いでくれたこと。
弟くんのは「一発かんたくん」。
朝食の苺ジャム。
サラダのドレッシングの作り方を教えてくれたこと。
おばあちゃんの鏡台。
おやつはかりんとう。
建て替える前のおうちのにおい。
お風呂で見たおばあちゃんのお腹の傷痕。
船での新婚旅行の話。
大連での終戦。
臨終近い叔母の枕元で、意識があるかわからない叔母に聞こえるように二人でお喋りしたこと。
結婚生活は我慢だとこっそり耳打ちしてくれたこと。
きっと大丈夫、と不妊治療を励ましてくれたこと。
遠く離れて暮らして、
頻繁に会えなかった私は、決していい孫とは言えなかったと思う。
96歳の大往生、別れの覚悟はできていたとはいえ、やはり後悔の気持ちで一杯です。
のべ5日、喪主として全てを取り仕切ったパパと、
実母を亡くして気丈にあれこれ采配したママの、
高齢の二人の疲労はいかばかりか。
私は殿が一緒にいてくれたおかげで、
助けられました。

あなーたーと呼べーばー、
あなーたーとこたーえるー、
山のこだーまーの、
うれーしーさーよー♪
おばーあちゃん?♪
なーあに?♪
幼かった私とおばあちゃんと、
懐メロを替え歌しながら、バス停近くの商店から杉の並木通りを歩いた夏の日を、私はちゃんと覚えているから。
いつものお別れの言葉を、おばあちゃんに。
「さようなら、またね。」