♪1975/時の過ぎゆくままに/沢田研二 | 「今できること」を8年も綴っちゃったw (ぬ∀す)b

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長らくのご愛顧をありがとうございました m(_ _)m

おはぬす。 センターまで116日ぬす。 (´・ω・`)
17才でいられるのも、残りわずか3日となりましたぬす…。

そして本日は、新しい週の始まりの日ではありますが、
諸般の事情により物憂げな曲でございぬす… (´□`。)

時の過ぎゆくままに/沢田研二



1975年8月21日リリース、14thシングル
(作詞/阿久悠 作曲・編曲/大野克夫)
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【↓うぃきコピ】

オリコンチャート初登場3位(75年9月1日付)
5週連続1位(9月22日付~10月20日付)
79.1万枚を売り上げ、年間チャートは75年度4位

翌76年度にも12.5万枚を売り上げ、最終売上枚数は91.6万枚。
6th「危険なふたり」(♪1973)、10th「追憶」(♪1974)に次ぐ
3作目のオリコン1位獲得曲であり、ジュリー最大のヒット曲である。

年末の賞レースでは『第6回日本歌謡大賞』放送音楽賞、
『第4回FNS歌謡祭』下期優秀歌唱賞、
『第1回全日本歌謡音楽祭』年間話題賞などを受賞した。
同年の『第26回NHK紅白歌合戦』に4年連続4回目の出場を果たし、
本曲を歌唱した。

本曲は、ジュリー自身が主演を務めたTBS系ドラマ
『悪魔のようなあいつ』の主題歌となり大ヒットを記録した。

楽曲制作の経緯は、当時テレビ局の演出家であった久世光彦が、
阿久悠にジュリー主演のテレビドラマの企画の相談を持ちかけ
主題歌の作詞を依頼し、阿久の詞に対し 大野克夫、井上堯之、
井上大輔、加瀬邦彦、荒木一郎、都倉俊一の6人に曲を競わせた
結果、久世の判断で大野の曲が選ばれた。

ジュリーの当時の所属事務所の渡辺プロダクションは、歌詞中の
「堕ちてゆくのも…」という言葉を変えるように要請したが、
阿久は固辞したという。

【ベーシスト・岸部修三】

ザ・タイガース結成時から解散後も一貫して沢田と活動を共にしてきた岸部修三は、プロベーシストとして本曲が最後の参加曲となった。

久世の勧めもあり、岸部は『悪魔のようなあいつ』の出演を契機に
本格的に俳優に転向
し、翌76年には現在の芸名である「岸部一徳」
改名した。

そして約15年の俳優生活の末の1990年、主演映画の『死の棘』
(小栗康平監督)で『日本アカデミー賞』最優秀主演男優賞を受賞した↓
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なお、岸部はその後、ザ・タイガースが1981~82年に期間限定で
再結成された時、および89年の『第40回NHK紅白歌合戦』に出演
した際には、ベーシストとして参加している。
また、沢田と森本太郎の3人で組んだユニット「TEA FOR THREE」等
でもベーシストとして参加した。

【↓おまけ】 6th「危険なふたり」(♪1973)