センターまであと216日の本日、
「センタートレーニングテスト」(←?)で今からヨビコー行ってきぬす。
(高認まではあと53日ぬす)


innocent world/Mr.Children

1994年6月1日リリース、5thシングル
(作詞・作曲/桜井和寿 編曲/小林武史& Mr.Children)


【↓うぃきコピ】

オリコンチャート初登場1位(94年6月13日付)
シングル・アルバム通じて初の週間チャート1位を獲得した。
(ミスチルのCDシングルは、本作から始まり「祈り ~涙の軌道」(2012年4月18日リリース)まで、30作連続で初登場1位の記録を続けている。)
翌週は5位に落ちたが、その3週後に再度1位を獲得(7月11日付)。
9月5日付チャートまで13週連続TOP10入りを果たした結果、
181.2万枚を売り上げ、年間チャートは94年度1位となった。
歴代チャートは26位(193.6万枚)と、ミスチルのシングルでは
「Tomorrow never knows」(276.6万枚・歴代7位)
「名もなき詩」 (230.9万枚・歴代12位)に次いで
3番目に高い売上を記録している。
前作の「CROSS ROAD」から約7ヶ月ぶりのシングルだったが、
前作のロングヒットで知名度を大きく上げた状況での発売だった。
当初の仮タイトルは「innocent blue」であり、歌詞は「Replay」のようなラブソングに磨きあげる方向で、歌いだしも「少しだけ疲れたなぁ」であった。
イントロのメロディーは、ギターの田原健一の提案によるものである。
恋愛感情よりも客観的な風刺を織り交ぜたメッセージ性の強い最初の楽曲になっており、曲はすぐに完成したが歌詞がなかなか完成しなかった。
プロデューサーの小林武史は、この曲がミスチルのターニングポイントになると考え、桜井の作ってきた歌詞に「ありきたりの詞じゃなく、今の桜井だから歌えるものを」「絶望の先に希望を見つけるんだ」など、数回ダメ出しをした。
桜井は歌詞を悩んでいたが、車の中で思い浮かびすぐに車を止めてメモを取った。
「blue」を「world」に変えたのは小林の提案である。
桜井は当時の雑誌インタビューで「innocent world(無垢な世界)がいいな、憧れるな、ではなく、時にはそういうものと別れてしまう場面もあるわけで…」という趣旨の発言をしている。
本曲は大ヒットし、94年の『第36回日本レコード大賞』で大賞を受賞した。

しかし、メンバーはオーストラリアで「Tomorrow never knows」のPV撮影のために授賞式を欠席するという異例の事態になった。

代わりに所属レコード会社トイズファクトリーの代表でアマチュア時代のミスチルを発掘した稲葉貢一が授賞式に出席し、トロフィーを受け取った。
以降9年間、日本レコード大賞に関わることは無かったものの、2004年に「Sign」で10年ぶりに再び大賞を受賞した際は、メンバー全員が授賞式に出席した。
