今日は予備校お休みぬす! ヘ(゚∀゚*)ノ
でも、カウントダウンは非情にも進みます… (´・ω・`)
センターまで、あと258日、高認まであと95日…。
本日も、追悼シリーズで。
本当は、昨日命日の方です。
hideと同日なので、すいませんが本日追悼です (。-人-。)
い・け・な・い・ルージュマジック/忌野清志郎+坂本龍一
1982年2月14日リリース。
忌野清志郎と坂本龍一とのコラボレーションシングルであり、
忌野の実質的なソロデビューシングルである。
(作詞・作曲・編曲/忌野清志郎、坂本龍一)

【↓うぃきコピ】
忌野清志郎は1970年、フォークグループRCサクセションとしてシングル「宝くじは買わない」でデビュー。
長らく売れない時代が続くが、78年半ば頃から徐々にライブハウスでの人気が出始めた。
この時期からデヴィッド・ボウイ等のグラムロック一派やミック・ジャガーの影響で化粧を始め、またパンク・ファッションの影響でパンクヘアにカットしたことから、独特の奇抜な風貌になる。
80年のシングル「雨あがりの夜空に」「トランジスタ・ラジオ」、アルバム『RHAPSODY』のヒットで、YMOの坂本龍一と並んでメディアの寵児として取り上げられることになった。
坂本は以前から忌野と一緒に音楽を制作したいと考えており、81年にソロアルバム『左うでの夢』製作時、面識のない忌野にカラオケテープを送り、作詞を依頼していた。
忌野はRCサクセションとしてツアーをしながらアルバム『BLUE』を録音していたため、時間的な都合により実現しなかったが、翌82年、本曲で「寵児のユニット」が実現した。
本曲は、資生堂1982年春のキャンペーンテーマ曲に起用され、
オリコンチャートでは1位を獲得(82年4月5日付)。
41.4万枚を売り上げ、年間チャートは82年度20位となった。
忌野は「RCサクセション」(1968年~91年)や「THE TIMERS」(1988年~95年)のほかにも多数のアーティストと多数の「ユニット」という形で音楽活動を続ける。
(詳しくはwikiを参照。書ききれませんのでw)
その間、「第32回日本レコード大賞」優秀アルバム賞(90年)、
米国テネシー州・メンフィス市名誉市民(92年)、
「日本アカデミー賞」優秀音楽賞(95年)を受賞した。
2006年7月13日、公式ウェブサイト『地味変』にて「喉頭癌で入院」することを公表し、すべての音楽活動を休止した。
癌の摘出をすると声が出なくなる※と宣告されたことから、放射線や抗癌剤での完治を図り、入院後2週間で代替医療へと治療法を変更した。
(※がんセンターでの現代医学的な治療計画は「胃に穴を開けての流動食生活」→「これに伴い唾液腺が消滅する」→「唾液が出ないためステージで歌うのは困難になる」というもの)
2008年2月10日、日本武道館にて『忌野清志郎 完全復活祭』を開催し、本格的に活動を再開するも、5ヶ月後の7月14日に『地味変』で「左腸骨への癌の転移」を公表し、再びライブ活動を休止した。
2009年2月以降、体調悪化により東京都内の病院に入院。
3月、病床でファンに向けてデビュー39年記念イラスト「39!BABY」を書き上げた。(これが最期のメッセージになった)
同年5月1日午後に容態が急変し、
5月2日午前0時51分、癌性リンパ管症により死去。
家族のほか、容態急変の報を聞いて病院に駆けつけた盟友・仲井戸麗市、愛弟子・三宅伸治らが最期を看取った。亨年58歳だった。
5月4日、関係者のみの密葬が無宗教の献花形式で行われる。
5月9日、青山葬儀所でファンなどを対象にしたロック葬『忌野清志郎 AOYAMA ROCK'N ROLL SHOW』が行われた。
弔問数は4万3000人に及び、戦後の日本の葬儀においては、hideに次ぐ2番目の参列者の多さとなった。
(奇しくもhideとは命日が同じである)
竹中直人、甲本ヒロト、大竹しのぶらが弔辞を読んだ。
戒名は芸名そのままの「忌野清志郎」。
遺影は遺族の意向で「栗原清志」として、笑顔で写ったプライベートパーティのものが使われた。
同年12月30日、「第51回日本レコード大賞」特別功労賞を受賞した。

【坂本龍一】
忌野没後、忌野の音楽性をこう語っている。
「いろんな側面があるんですけど、まず、パフォーマーですねえ!
ああいうパフォーマーってのは意外といないんですよね、日本にはね。
アメリカには多いんだけど。
だから清志郎って、もちろん、日本のフォークの土壌から出てきた人なんだけども、意外とアメリカンな、アメリカ文化で育った・培われた人なんじゃないかな、という気がします。
ステージ上のパフォーマンスということで言えば、ミックジャガーの影響がとても大きいでしょ!
そのセクシーさって言うのは、両性具有なんですよね。」
「フォークでもあり、もちろん歌謡曲でもあり、
ニューミュージックでもあり、ロックでもあるという。
だから、どっかのカテゴリーに入れるのが、難しい人だよね。
全部入ってるから、全部吸収しちゃってるからね。
だって、スローバラードでも、何でも、
『トランジスタ・ラジオ』でもいいんだけど、本当に、
聴いている人の心に届く唄を書いてるわけよ!」
【氷室京介】
BOØWY結成前に参加していたバンドに嫌気が差し、辞めて帰郷することを決意した。
しかし、帰る前に日比谷野外音楽堂で行われたRCのライヴを観て
「もう一度バンドをやろう!」と思い直し、その後、布袋寅泰を誘ってBOØWYを結成した。
【↓おまけ】 デイ・ドリーム・ビリーバー
↑セブン・イレブンのCMでおなじみですね~。
原曲はThe Monkeesの「Daydream Believer」(1967年)