摂食障害から立ち上がろうと心の中では何年間も思い続けていました。
そう、
『摂食障害』
から。
私にとって、摂食障害は私ではなかった。
病名は下されていたけれども、様々な支障の中で生きていたけれども。
それでも、私は本当の意味でこの病を受け入れることが出来なかったのです。
私は『病人』だった。
でも私は病人ではなかった。
すべて、どこかでそれを自分のことではないと思っていたのです。
いや、そう思いたかった。
だから望む形になれない自分が何よりも辛く、悔しかった。
結局私が認められなかったものは、自分自身だったのかもしれません。
こうある自分が自分であるということ、どんなに否定したくなるような一面を持っていようと、それが、それこそが自分だということ。
もしかしたらその自分を非難する人がいるかもしれない。私から去って行くかもしれない。
でも。
私が私であることを否定する人間が、私にとって何の価値があるのだろうか。なぜこちらがそんな人間に価値を与えねばならないのだろうか。
それに、他人に認めてもらいないのならば、まず、自分が自分であることを認めねばならない。
私はこんなに駄目なところもあるけど、それでもこういう別の面もあって、それが全部私なんです、と。
理想にある意味直向きなのでしょう。
己を削ってでも、手に入れたいと思えるのですから。
あの日、という明確な日はありませんが、私は漸く今ある自分を認める覚悟をしました。
それまで必死だったのを、手離すのは恐怖だった。
今尚、完全にあの考えを忘れた訳ではありません。
はたまた、人から向上心のない人と思われるかもしれません。
でも、いいのです。
私は、私で、私以外ではないのですから…