今日、携帯をピコピコ?いじって昔のメールを見ていたところ、一通のメールに目が釘付けになりました。
忘れもしない、あの出来事。
一生忘れない、あの人の存在。
私はその人に会ったことはありません。
ただ一度だけ、電話の向こう側から聞こえる声を聞いたことがあるのみ。
いつか会えると思っていました。寧ろ、それが当然のことだと考えていました。
それなのに…
私の考えは呆気なく崩れ去りました。
音もたてずに。まるで存在しなかったの如く。
その人は、もうこの世界の何処を探しても見つかりません。
私は一度も言葉を交わすことのないまま、あの人に別れを告げたのです。
深く後悔しました。そして、今も。
私は何も出来ないまま、あの人は逝ってしまった。
今でもあの人に問いかけるのです。
あなたの苦しみの炎は、まだ消えずにいるのでしょうか。
それはもしや、思いやりと孤独が生んだ心の枷ではないのですか。
なれば、私が…
でも、もう叶いません。
笑顔を見ることなど、過去にも未来にも。
大切なものは、失って初めてその大きさに気づくこともあるのでしょう。
どんなに憎くとも、醜くとも、それが本当に自分にとって持つ価値は、頭で考える以上に重いものかもしれません。
とある本の後書きに、こんなことが書いてありました(要約?かつうろ覚えです、すみません)
その人がどれだけ偉大かは、生きているうちに決まるものだと思っていたが、死んでから真の偉大さは決まるのかもしれない
偉大さ、という表現ではなかった気がしますが、消えてもなお残り続けることのできる人(もの)は、きっと見つけにくく、それでも一番大切なのでしょう。
あの日から一年が経つまで、もう一月を切りました。
叶うのなら、手を合わせに行くつもりです。