58年間ありがとう、小学生時代に1回、中学時代に2回、社会人になってからは、会社のレクレーション係になって、BBQ大会も兼ねたイベントで1回、地方から知人が来た時に観光で1回、母親が要介護状態
になって、思い出の場所に行に行きたいと言うので(既に逝去)6年前に行ったのが最後となってしまった
58年間ありがとう、小学生時代に1回、中学時代に2回、社会人になってからは、会社のレクレーション係になって、BBQ大会も兼ねたイベントで1回、地方から知人が来た時に観光で1回、母親が要介護状態
になって、思い出の場所に行に行きたいと言うので(既に逝去)6年前に行ったのが最後となってしまった
そんな所で、今日は逗子で用事を済ませてから
早めに終わったので こちら北鎌倉「円覚寺」
実はと申しますと、鎌倉はそれこそ10代の時から
おっさんになった今まで、何度も来ている所ですが
何故か、北鎌倉駅前の「円覚寺」には行った事が無かったのです
門前を見ているだけで、毎回建長寺の方へ歩いて行くパターン
前回のブログ記事は松竹映画に関する記事だったので
せっかくなので、小津監督の墓所が有る「円覚寺」に
お参りに行ってきました。
”無”と墓石に刻まれている、小津安二郎のお墓です
北鎌倉は4年ぶりとなります、当時観光客でごった返して
いた頃が信じられないぐらいの静寂さですね![]()
又観光客が戻ってくればいいですね。
拝観料が\500とは少々お高いかな![]()
前回の記事で、ロケ地の事が気になったので、色々検索
していたら 過去記事に「自分が小学生の頃、3丁目のグランド横の
広大な敷地に、映画のセットが作られた」と言う書き込みを発見![]()
又パンフレットにも、能見台に出現した巨大セットは、街でも
評判になるだろうとも書かれているではないか、パンフレットは
具体的な位置は書いていないが、この書き込みによって
実際のオープンセットが建てられた位置が判明![]()
映画が作られたのが1986年だから その前後の年別の写真と
10年近く経過した航空写真も見つけられたので、分かりやすいように
加工編集してまとめてみました。場所は横浜市金沢区能見台3丁目
写真左上の物が1983年 赤枠で囲った所(草が生えて見える)
写真右上 1988年撮影から2年経過の物、見てわかる様にきれいに
整備されている
下の写真は撮影から6年後、数棟の建屋が見える
※写真から推測すると、更地にしてオープンセットを作り
撮影後に取り払い、2年後の写真の様に整備され
その後住宅地となるですね
横並びのグランドが決め手となりました。
Googleマップで現在の様子を見ました
ふれあいの街と言う名称がついています
能見台は京急が開発した土地ですので映画と関係ある?
何か ロマンを感じるな![]()
と言うわけで ('◇')ゞ
大船移転当時、建屋建築に関わった竹田工務店100年のあゆみと言う会社案内に、大船撮影所を手掛けた事が掲載されていました
この写真を見ると、奥の建屋 屋根に OFUNA の文字が見えますね
昭和11年建築当時のようです
そして、その左上に見える建屋 特徴のある屋根
ここでもう一度、蒲田撮影所の写真をご覧ください
どうでしょうか?
蒲田撮影所から移築した、ステージが、第五ステージとして
大船でも使われていた
そして、蒲田時代のグラスステージも移築され、こちらは第七ステージとして使われたそうです。
大船撮影所の写真はステージ建屋の裏側が写っているようです
この他にも、いくつかの建屋が蒲田から移築されたそうですが、
残念ながら調べることが出来ませんでした。
1986年制作の「キネマの天地」山田洋次監督
に使われた、松竹キネマ蒲田撮影所の建屋(セット)は
当時のパンフレットで判明しました
横浜市金沢区の能見台と言う所で(五千坪)オープンセット
を作ったそうで、ステージを始め松竹橋、そのほかの建屋も
再現された様です、金沢区なら大船撮影所からもさほど遠くない
場所です。当時(今から35年前)蒲田撮影所で活躍していた
俳優も存命中で、オープンセットを一目見て「蒲田撮影所とそっくりそのまま」と驚いたそうです (故・笠智衆氏)
大船撮影所の航空写真を参照に位置関係を調べました
赤枠で囲った所が、大船撮影所です 1992年当時はすでに
撮影所の半分が売却されていました。
まとめて見たのが上の写真です、赤丸印を付けた建屋が蒲田撮影所から移築したステージが見えます、この時すでに約80年の歳月が経過していたのか?
大船撮影所は(松竹)寅さん(渥美清)
が無くなってからは下降してしまい、1996年に鎌倉シネマワールド
(自分も行った事が有る)として再スタートしたけど、わずか3年で閉館
シネマワールドを作る時に、この蒲田から移築したステージは
取り壊された様ですね。
そして、大船撮影所跡地には現在は、鎌倉女子大となっています
それで大船に松竹の名残りはあるのか?と
大船まで出向き(笑) 少なからず有りました松竹と分かるものが
鎌倉女子大横に流れる川に架かる 松竹橋
比較的新しいと見えたので、再建して名前は引き継いだ形ですかね
次にこの石碑は、松竹が大船に移ってきた時に(昭和11年)
この川沿い、あるいは敷地内に1000本にも及ぶ桜が植えられたと
刻まれています、今も桜の大木が川沿いに立っていました
当時植えられた桜の木でしょう
これは、駅に向かって帰る途中(松竹通りと現在も呼ばれている)
マンホールの蓋、だいぶ古いですね、松竹のシンボルマークが刻まれています。
ざっと調べた事をまとめてみました
それでは![]()
そんなわけで![]()
前の記事の続き 調べましたよ~ そして新発見も
こちらが、古い航空写真 (1936年撮影)
この年の一月に松竹は、大船撮影所に移転した
と言う事は
写真を見る限り、お気つきだろうか?
正に建物の撤去中の航空写真なのである![]()
この配置図は、アプリコ内にある撮影所のジオラマの物
そして、写真を見る限り、不思議と思ったのは
解体中なのに廃材が散乱していない??
蒲田アプリコ敷地内にある橋は、映画「キネマの天地」で使用された
レプリカ、記事は式典の記事 中井貴一、 山田洋次監督の姿も
見える、当時は現在の場所ではなく、アプリコ後ろの公園に設置されたらしい、アプリコが完成した年に現在の場所に移動したとの事です
そして館内に展示されているのは、当時の蒲田撮影所前に架かっていた橋で本物
鎌倉在住の方が所有していたとの事で、大田区に寄贈されたそうです、鎌倉と言えば大船ですね、移転に関わった人だったのでしょうか?今では知る由も有りません、当時の撮影所写真にも写っています
そして問題の「松竹橋?」 調査していたら、こちらの存在も
後方の工場は高砂香料ですね、撮影所跡地に移転してきました
(写真は昭和42年当時)とっくの昔に松竹撮影所は大船に移転しているので、粋な計らいで?松竹の名前を継承したのかもしれません
キネマの天地が封切された1986年当時
自分は大田区で働いていたので、撮影所跡を見に行った行った事が有りまして、高砂香料の敷地で跡は何もなかった記憶が![]()
いよいよ大発見の建屋解体の件 ネットでも拾えた
蒲田から、撮影スタジオをそのまま移築した情報がありまして
間違いないようです。
この続きは、次の記事で紹介します