初めての学内試験(中間は無く、期末として)が終わり、結果が出て、

生徒と先生の個人面談の後の

親を含めた三者面談


先生としては、初めて親と話す機会であり、


生徒の、看過できなくなってきた問題行動を

どのように本人、親御さんに伝えるか、

それを親御さんがどのように受け取るか、


という緊張の場面であろうと推察されます



中学一年生の、クラス生活、授業も含め全体の学生生活上の取り組みや態度で、

内面に籠るのではなく、

外面 - 社交性、社会的行動、つまり人間関係として現れる逸脱行動、


騒音、暴行、軽犯罪、授業妨害、恐喝、恫喝


初めや、まだぬるい状態なら、

うるさい、授業中の徘徊、サボり、クラスメイトへの暴力、または暴力をにおわせての脅し


などがあるのだろうと思われます



こういう人は、社会にもいて、

君子危に近寄らず、ですが、

なんていうか、様子としては中学であれ高校、大学、25歳くらいまでなら、同様の集まり、2-10人弱で屯しているというか、そういうのあるよな、と想像してしまいました



特徴としては、例外はあるでしょうが、一般的に多いのは、

成績が悪く、

白か黒かの判断になりがちで、

思慮が浅い

得た情報の見える点のみを、そのまま解釈しがち、

判断の前に思考することが苦手で、短絡的

揺動されやすい



などなど、仕事を持つ社会人であれば、何かしらのイメージやステレオタイプ、雛形を持っていると思われます



ところで、その入り口となる中学一年生、という「点」で考えると、

親に顧みられない寂しさを抱えているというのは多くのケースに当てはまるのでは無いかと感じます



これは、親が実際どの程度、という客観的に測れる話ではなく、

その生徒本人が、主観的に、どう満ち足りているか、その一点のみの話なのだと感じます



人が、「自分は自分だ」「自分は(→他人も)かけがえのない大切な存在だ」と信じることが出来る時、ある程度満たされていて、

種々のストレスに耐えることができるのかもしれない


種々のストレスとは、

・授業内容を理解する、暗記する

・客観的な評価が強まる

・客観的な評価が、次の進路の選択肢と連動している→客観的な評価の強化


・授業自体の難易度、暗記、じっと座りながらの授業形態

などもストレスの一つとなり得る


そしてこれは、

・嫌な事に直面したまま耐える

・納得できるような出来ないような強要に立ち向かう

・逃げずに居る

・出来るか出来ないかわからないことに挑戦する

・考える - 答えの無い曖昧な状態に耐える、自分の内部に別の解を探す・創る

そういう事に繋がっている


耐える、という話に集約されるのではと思う



耐える、とは、筋肉のようなもので、

少しずつ練習し、慣れと共に強度を上げていき、

鍛えていくもの


他人やモノの力を借りることもあるが、

土台や基礎体力のように、自分がレベルを上げる必要がある



元々、根拠のない自信があった人も、

思春期、という過渡期の特徴で、やはり自己の自信や自己概念の変化などがあり、

そこで感じる自信のなさと、客観的評価の強化という環境によるダブルパンチで、自信はグラグラ



内に篭るタイプと、

友達関係で紛らそう、自分を承認してもらおう、という外タイプがいるのだと思う



しかし、外タイプは似たもの同士で、内省しにくい方法で、言葉で巧みにラクになる方法、口先だけの承認のような関係になりがちで、

そこから発展することが難しい

逃げることが出来るなら向き合おうという姿勢が育たないのは自然の摂理かもしれない



人間関係とは、ヒトの寿命に関係するほど強いファクターなので、人間関係で得られるものを利用するのは理にかなっている、のだと思うのですが、



ここで、十分な内省無しに人間関係で寂しさを紛らそうとすると、

男女関係や友人関係の話に終始する気がします

抜け出せない、というか。