私が常々思っていること。
まめが持って生まれた「色素性母斑」というもの。
20000人に1人くらいの確率だと、私は先生から聞いた。
その数字を聞くと、人はどちらかの事を思うだろう。
「そんなに少ないのに、なんで19999人のほうに入らなかったのか。」
もしくは、
「けっこういるんだ。」
私は、後者だった。
そして、「でも、今まで出逢ったことがない」とも思った。
私は仕事上、物凄い人数に会ってきた。
東京の渋谷という街、銀座という街に住み、毎日毎日物凄い人数とすれ違ってきた。
20000人なんてすぐ出逢える。
なのに、まめと同じ症状の人に出逢ったことがなかった。
「顔にだけじゃなく、体に出る人もいますからね。」という先生の説明に、やっぱり思った。
「じゃあなんで、よりによって顔なの?!」
…今は、「場所じゃない。皆、悩みは同じなんだ」と思えるけど、実際に「なんで顔なの?!」という思いはなかなか消えなかったなぁ…。
治療がどのくらいのペースで行われるのか、はっきりしたことは解らない。
母斑が消えるのが早いか、まめが自覚し始めるのが早いか…。
自覚の方が早いだろうな。
私はずーっとずーっと考えてきた。
この子本人になんて説明してやればいいのか。
いずれ訪れる学校という集団生活の中で、まめが自分の母斑のことで1度も悩まないなんてことは有り得ないだろう。
そう思っている。
でも、その時までに私がまめの為にやっておかなければならないことがある。
まめにとって、最高の治療方法を見付けること。
そして、まめの心の基礎作り。
まめの心をずっとサポートしてやれる、私の心作りも。
まめが自分のことを「私、可哀想」って思わせない為に!
この母斑は、悪性メラノーマという死に至る可能性が高い病気を発生することがあるため切除してしまった方がいいものなのだが、その確率の低さは母斑研究で有名な先生に説明していただいたし、生まれてから1年間まめは本当に元気なので、まめがこれからやっていく手術は「外見をキレイにするための手術」なんだ。
勿論、手術する以上、よりキレイにしてもらうことを望むのは当然のことだと思っている。
でも、命に別状のない症状なのに外見の為に手術をするのって、私自身がアザに対しての偏見があるからする行為なんじゃないのか?とか、考えれば考える程、自分の気持ちと行動の矛盾や、色々な感情に振り回される。
「顔が黒くないのが普通」ではなく、「黒い部分があっても普通」っていう世の中になって欲しいと思いながらも、黒い部分を消そうと必死になり、なおかつどこまできれいになるのかを追及している、この矛盾。
自分でも説明出来ない。
自分の言っていることがきれい事にしかすぎないなと思う。
まめが、「私のお顔、なんで黒いの?」って聞いてきたらどう説明しようかずっとずっと悩んできた。
でも、ある日ふと思った。
「まめのお顔の黒いのは、勇者のしるし。」
そう言おうって。
まめは神様に選ばれた勇者なんだよ!
手術を乗り越えることで他の人達に沢山の勇気や希望を与える役目を生まれながらに授かったんだよ。
その証拠に、まめは色んな魔法が使えるでしょ?
周りの人達をみーんな笑顔にする沢山の魔法。
それが、まめが勇者である証拠だよ。
そして、世界中にまめの勇者仲間が沢山いるからね。
いつか仲間を探す旅に出ようね。
その時には、まめも仲間たちも勇者のしるしは消えているかもしれないけど、勇者同士にしか解らない魔法があるから、会えばすぐに解るよ。
しるしは消えても、使える魔法は絶対に消えない。
幼い頃に憧れた勇者には、勇者にしか解らない苦悩があったんだと今なら思う。
勇者として生まれた宿命。
今は、勇者の母の苦悩まで解るよ。
私は世代的に、勇者といえばドラクエです(笑)
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