まめが生まれてから、私は心が休まる時が1秒もなかった。
「このアザはメラノーマという悪性の皮膚癌になる可能性があります。」
「このアザを体に持っていると、脳にも同じようなアザを持っていることがあって、そうなると脳に障害が出てきますからお母さまは赤ちゃんが痙攣を起こしたりしないかどうか発育をしっかり見ていてください。」
まめを生んだ次の日に言われたこのふたつの事実が私をずぅーーーーっと苦しめた。
おっぱいをあげる時も、スヤスヤ寝ているまめの寝顔を見ていても、顔にある大きくて真っ黒な母斑が見えない時がない
から「悪性皮膚癌」「脳の障害」という言葉がずっとずっと私の頭の中をぐるぐる回る。
私がまめを生んだ病院は総合病院ではなかったので、皮膚科の先生は週に2日くらい他の病院から来る先生で、その先生も皮膚の病気の分厚い本を見ながら「アザというか…大きなほくろみたいな物だと思います。」と説明してくれた。
「じゃあ、普通のほくろと同じようにレーザーとかで消せるんですか?」と聞くと「うーん…。それはどうかなー…。とにかく退院したら総合病院の皮膚科で1度診てもらってください。」と言われたから、私の中で「お前は皮膚科医ちゃうんか!」と、それはそれは激しくツッコミ、
何の安心感も得られなかった。
入院中にこの病院でまめの顔のこの黒い物が何なのか、これ以上解ることはないと解り、私の心では不安がどんどん大きくなるだけ。
出産という命懸けの大仕事を終えた後は、愛しい愛しい我が子を抱いて、愛と夢と希望と、この世にある幸せを全て感じながら過ごせると思っていた。
でも、私の心の状態は完全に真逆。
「なんで?」
が、ずっと頭の中をまわっている。
ここ、病院でしょ?
なんでちゃんと説明出来る先生がいないの?
なんで?
なんで?
悪性皮膚癌?
脳に障害?
誰も私が納得する説明なんてしてくれず、「お母さんは、赤ちゃんの前では泣かないようにね。赤ちゃんが不安がるから。」と、あたかもいいことを言っているかのように聞こえる無責任な皮膚科医の言葉に
「じゃあ、この症例が何なのか、治るのか治らないのか、この病院で責任持って赤ちゃんを診ている皮膚科医としてちゃんと説明してください。」
と言ってやればよかったと今となっては思う。
泣いちゃいけない?
よく言えるよね、そんな言葉。
お母さんがしっかりしないと!
この後、周りから何万回と言われたこの言葉に更に追い詰められ。
周りの方からの励ましが嬉しかった反面、余計に私を苦しめたのも事実で。
この時に、私が一番欲しかった言葉…。
それは「大丈夫だよ。」
この言葉、この一言、なんで言ってくれないの?
怖い。怖い。怖い。
大丈夫って言えないくらいなの?
まめは、病気なの?
一緒に生きてくれないの?
どうなの?
誰か教えてよ!!!
毎日24時間、ずっとそう思っていた。
お見舞いに来てくれる人の前で、私の方が「大丈夫だよ」と精一杯演じながら一生分の嘘をついて。
本当は、皆解ってくれていたんだと思う。
私が大丈夫じゃないこと。
でも、私は「大丈夫だよ。」って言わなきゃいけなかった。
周りも「お母さんがしっかりしないとね!」って言わなきゃいけなかった。
それは、今になって解ること。
シングルマザーの私のもとに、「婚外子」という法的な言葉で表現される立場で生まれるまめのことを、私の一生をかけて絶対に幸せにする!と、そのことばかりを考えていた妊娠中。
生まれてきたまめは、婚外子とかそんなことよりも、病気が何なのか解らない状況だった訳だけれど、私の中では「そんなことよりも!」ではなく「それにも増して?!」という風にとらえてしまい、苦しみが何倍にも膨れあがってしまった。
婚外子である上に、先天的な病気を持って生まれた。
物心ついて、自分が人と違うことばかりだと解った時にこの子はどれだけ辛い思いをするのか。
その頃、この子の体はは元気でいられるのか。
そんなことを毎日泣きながら考えてていた。
退院してから改めて行った総合病院の皮膚科からは、また特に何も説明してもらえず「形成外科に行って」と言われ(今思うと本当に酷い対応だと思う。)、また翌日生まれて1週間も経っていないまめと形成外科に行って。
そこで、どんな手術をして治療していくのかを初めて説明され、まめのこのアザが簡単なものでは無いことを知らされ。
その時の私の精神状況では、先生の言葉を耳に入れることだけで精一杯で、事実を受け止めると気を失ってしまいそうで、遠退きそうな意識をしっかりと繋ぎ止めることを必死になってやっていた。
何も知らず、私の抱っこでスヤスヤ眠るまめを見ながら。
だから、この時の診察の記憶が断片的にしかない。
それから私の症状はどんどん酷くなっていった訳だが、なんで今になってこんなことを書き始めたかというと、まめが生まれてから撮りためていた写真の選りすぐりをプリントアウトしたからその時その時の色々な気持ちがフラッシュバックして。
ジィジも、バァバも、パパも、皆気が利かないの。
私とまめの写真を誰も撮ってくれない(笑)
だから、写真はほとんどまめのソロショットか、ジィジかバァバとのショット。
私がカメラを取り出しても「撮ってあげるからママ入って」って誰も言わないんだもん。
バァバなんて、いつも顔つくってお待ちです(笑)
ムービーだと声がよそ行きになるパターン(笑)
生後2ヶ月くらいの写真かな。
私が「ちょっと、たまには一緒に撮ってよ」と頼んでやっとまめと一緒に撮ってもらえた1枚を見てみると、私の顔真っ青。唇、紫。色白とかではなく、明らかに血の気のない顔色。
赤ちゃんまめと私のツーショット、こんなのしかないなんてちょっと悲しい。
でも、大人になったまめと一緒にこの写真を見ることがあったら、まめは何かを感じてくれるかもね。
私の心のリハビリの様子、そりゃもう長くなるので続きはまた書くとしよう。
なので、つづく。
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