わたしが、何度も救われた本。
私の宝物。
有名だから皆さんもご存知だと思います。
私が、この詞に出逢ったのは、シングルでまめを産む決断をして、それでも不安で押し潰されそうな日々を送っていた時。
何かをネットで検索していた時に、偶然出てきたのでした。
今まであんなに理解しあえていると思っていたパパと、何もかも解り合えなくなり、じゃあなんでこの子を産むのかとまで思い、苦しみ続けた日々。
ケンカをしない日なんてなかった。
相手の全てが許せなくて、シングルでも愛があれば何も怖くないなんて戯言で、愛がなければ何もないじゃないかと思い知らされました(笑)
本当は、パパと一緒にこの本を読んで、二人でまめを感じたかったな。
妊娠中の私は、それが夢でした。
まめに、私は愛されて産まれてきたという証を絶対に残してやりたい。
まめは、間違いなく私とパパを選んで産まれて来てくれたのだから。
お腹の中では、二人の怒鳴りあう声しか聞いていなかっただろうけど、ママはパパを心から愛して、まめの誕生を心待にしていたんだよ。
この前の手術で入院していた時に知り合ったママが、プレイルームで皆一緒に遊んでいる赤ちゃんを見ておっしゃってたこと。
「生まれる前に赤ちゃんたちがいる場所があるんだって。そこで、赤ちゃんは自分が生まれる順番を待ってるんだって。そこで、あのパパとママのところがいいって選んでおりてくるんだよ。この子たち、生まれる前もこうやって一緒に遊んでたのかな。」
そうかもしれない。
皆、先天的なものを背負って産まれてきた赤ちゃんたち。
受け入れてもらえるパパとママを、ずっと探しながら、一緒に遊んで待ち続けていたのかもね。
久しぶりにこの詞を読んで、また沢山泣き、そしてまたまた沢山勇気をもらいました。
まめ、有難う。
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