思い出の幼稚園のその後
今回もまたまた小学6年生の私が書いた「生いたちの記」からのネタです。
3か月ほど前、私が清瀬市に住んでいた頃に通っていた「秋津カトリック幼稚園」の思い出を書きましたが、「生いたちの記」にはその幼稚園のその後について書かれた部分もあります。
「秋津カトリック幼稚園」は私が小学4年か5年の時に幼稚園としては閉園し、その後は同じ敷地と建物で小さな修道院のような施設として活用されていることを母親が受け取った園からの手紙だったか母親の幼稚園時代のママ友からの電話だったかを通じて私も知っていました。
そこで、6年生の時に秋津カトリック幼稚園改め修道院はどうなっているのか興味がわき、卒園以来久しぶりに幼稚園の合った場所へ行ってみました。
西武池袋線秋津駅から幼稚園やかつての我が家のあったあたりまで行く道の風景は私が住んでいた当時とあまり変化はなく、久しぶりに訪れて懐かしい気分に浸れました。
そして幼稚園改め修道院の場所に行くと、ぱっと見は園の正門のあった場所の横に大きな掲示板が設置されていたり、もちろん園の名前が書かれた看板が出ていた場所にその時の施設の名が書かれた看板が出ていたりする程度で、幼稚園だった建物には大きく手を入れたと思われる場所は見当たりませんでした。
部外者が勝手に施設の正門を入るのはいけないとは思いつつ、周囲に人の気配がないのをいいことにかつての幼稚園の園庭のあったところに足を踏み入れてしまいました。
園庭にあり毎日登園時と幼稚園から帰る時にいつもお祈りをささげていたマリア様の像の祠や鶏やモルモット、ウサギが飼われていた飼育小屋、遊具や砂場、そして壁画代わりに園舎の壁に掲げられていた木製の卒業制作のオブジェまで、ほとんどのものが幼稚園時代ほぼそのままに残されていて、かつて園児だった私としては嬉しくなりました。さすがに園舎だった建物の窓からちょっとだけ除いた室内は幼稚園だった頃とは少々変化していましたが。
5分ほどで足早にかつての幼稚園だった場所をあとにしましたが、幸い突然の勝手な訪問を咎められることもなく、幼稚園時代の面影の残る場所で懐かしい気分を味わうことができました。
かつての幼稚園の場所を出た後はそこから徒歩1分ほどのところにあるかつての家の場所にも行ってみました。すでにかつての家は他の人の所有になってはいたものの、建物は昔のままでこれも久しぶりに訪れて懐かしい気分になりました。
さらにその後、ふと思い立って秋津駅から数分歩いたところにあった幼稚園時代の親友N君の家に行ってみることにしました。表札を見ると引き続きN君と家族が住んでいることが分かったので、アポなしの訪問ではあったもののダメもとでインターホンを押すと、幼稚園時代N君ともどもよく顔を合わせていたN君のお母さんが出てきて、私の姿を見てすぐに私のことを思い出してくれました。
幸いN君も家にいたのでわずかな時間ですが家にお邪魔してしまい幼稚園時代のことやお互いの小学校のことなどをあれこれおしゃべりして楽しい時間を過ごすことができました。今から思うとかなりN君やお母さんには大変迷惑をかけてしまったと反省していますが、約6年ぶりに親友と再会できて私にとっては大満足の秋津への「里帰り」になりました。
さて、秋津カトリック幼稚園を改装した修道院はその後あまり長続きしなかったようで、私が高校生か大学生の頃にまた幼稚園のあった場所を訪れると、修道院の建物や施設は跡形もなく撤去され、隣接の土地も含めて区画整理が行われた上で数件の住宅や数台が止められる駐車場へと変貌し、かつてそこに幼稚園があったことをしのばせる面影は見つけることができませんでした。
私はその頃、地方の過疎地の小中学校や分校が生徒数の減少や学校統廃合で閉校するという話題をニュースなどで見ることはあってもどこか自分には縁のない話という感覚がありました。
しかしこの時、私の母校ならぬ母園(?)がこのように跡形もなく消え去ってしまったという現実を目の当たりにしてかなりのショックを覚えたのを今でも思い出します。
この時からでさえもう30年以上の時が流れ、かつて私が住んでいた家や幼稚園があったあたりの風景もかなり変化したでしょうし、ましてかつてそこに幼稚園があったことを知っている、あるいは覚えている人というのもまずいないかもしれません。
でも、私にとってはわずか3年ほどしか住んだり通ったりしなかった場所とはいえ、今から思うと楽しい思い出のいろいろできた「第2の故郷」ともいうべき懐かしい場所であるのは間違いありません。
この記事を書いている間も、幼稚園時代のいろいろなことが思い出されて懐かしい気分に浸りまくってしまったのでした。